2002年04月15日(月) |
稲葉が机出しで見ているもの、ひいては部活に求めるもの |
いよいよ授業も始まり、新歓の机出しは江古田から所沢へ移動しました。 久しぶりの所沢は陽射しと風が強かったです。 所沢校舎にいるとついついヤブ(オオヤブコーポレーション=購買部)で無駄遣いしてしまいます。 困ったもんじゃのう。
あべみよ殿より嬉しいお手紙をいただきました。 所沢へ行った甲斐もあるというもの。 ありがとー。
とーこーろーでーさー。 机出しで初対面の1年生と話すとき、みなさん何を見てますか。 ルックス? うんうん、それはとっても大事かもしれません。
あ、さてさて…。 稲葉の場合、まずは言葉遣い、というか礼儀です。 初対面同士として、先輩後輩として最低限の礼儀作法を知っているか。 そう、最低限でいいです。 とりあえずこれが無いと判断した人には説明もそこそこに返してしまいます。 仮に入ってくれたとしても、絶対にやっていけません。
とりあえず、いまべディックに名を連ねている人(含・新入生)は礼儀作法に関してはみんな「中の上」以上だと思います。 各個人の性質もさることながら、そういう人の集まる土壌がべディックにはあります。 何年にもわたって培われた雰囲気とでも言いますか。 これはとても誇らしいことだと思います。
べディックに限らずほかの部会さんについても程度の差こそあれ同じことが言えそうです。 稲葉はそんな文化部連盟の雰囲気が好きです。
さて礼儀という最低関門を突破した人について。 次はその人にとっての演劇や映画の重みを見ます。
演劇の役者を例に取りましょう。
稲葉は役者で喰っていくという目標があります。 べディックでの活動は将来のために経験値を稼ぐためにあると言えます。 一方で、「雰囲気に憧れて…」とか「学生時代の思い出に…」をべディックに求める人もいるわけです。 部活内で役者をやっていながら、将来役者になるつもりがゼロの人。
どちらが良い悪いというものでは断じてありません。 学校内の部活ですから、どちらのような人がいても全然構わないわけです。
後者のような人に、べディックから独立した劇団があるよ…とか言っても無意味です。 役者の何たるかなんてことを熱く語るのはむしろ逆効果かもしれません。 それよりは写真を見せて、楽しいぞ的な「空気」を伝えます。 逆に前者のような人には「空気」ではなく「実績」から入るようにしています。 机出しを4回(4年)やってきて見出した勧誘のコツですかね。 ま、そんな大したもんじゃごじゃりませぬがの。
ここで質問がきます。 1つの部のなかに志の違う人がいていいの?…と。
いいんです。
さっきも書いたようにべディックは学校内の部活です。 礼儀作法と部費、この2つのハードルさえクリアしたらば、それ以上門を築くのは筋が違います。 上を目指す劇団ならば話は違ってきますが。 志の統一はべディック内の各企画や各ユニットですればいいこと。
稲葉が1年生のとき、とあるOBさんに「べディックは単に映画や芝居を創るだけの所ではない」と言われたことがあります。 映画や演劇は、大切な出逢いを演出するものとしてべディックにあるような気がします。 演劇をきっかけとして出逢った人たちが、今度は演劇を目的として時間を共有する。 こういう繋がり方って、なんかいいですね。 嘘が無い、と言うと大袈裟になりすぎますが、でも真実味がある繋がり方です。
演劇映画放送研究会は演劇や映画や放送によって人が出逢い、繋がる場所なのです。 マジック研究会さんはマジックで、殺陣同士会さんは殺陣で繋がっています。
演劇に100を求める人がいてもいい。 50で精一杯な人がいてもいい。 程度はともかく、演劇が好きであることは間違いないんだろう? だからべディックに入ったのだろう? ならばそれでいいんじゃないかな。
勧誘する方もされる方も、そんなに難しく構えないで。 同じ何かが好き。 それは充分に人と人とが繋がる理由になります。
べディックにいる限りは何かしらで中心になって引っ張っていって欲しいとは思う。 でもそれが全てではないとも思う。 100を注ぎたくてもそうも行かぬ事情もあろう。 100は無理でも技術面で知識面で、或いは精神面で助けになることはできるだろう。 辞めてしまったら、それもままならなくなっちゃうよ。 もっともべディックで出来た関係はべディックの外でも続いていくものだけど…。
所沢の1週間、出会いの瞬間を大切にしつつ、1年生をもっともっと迎え入れていきたいですね。
お、今日は4月の15日だ。 SS殿よ、20歳のお誕生日おめでとう。 もう悪さ出来ませんね。
|