2001年12月16日(日) |
稲葉なりの会長論および退陣表明演説 |
1年生は会長になった後の稲葉しか知らない。 だから2年生に尋ねる。 稲葉は会長になる前となった後とで変わったか。
某先輩から「お前は昔はもっとおっとりしてていい男だった」と指摘されたことがある。 ここでいう「昔」は会長になる前のことだ。
指摘はじつに的を得ていて…。 尋ねときながら自分で答えてしまうが、会長になったことで変わったと思う。 とゆうか会長になって以降、つねに変容し続けていたような気がする。
会長のようなトップに必要なのは首尾一貫たるべきこと。
と先代より1年前の就任の際に言われました。 1年間経ってみてまったくその通りだと思ってます。 「会長」という肩書きに「個人」が左右されてはいけない。 背伸びは要らない。気負いも要らない。 所沢の部室で1年生と遊んでた気持ちをそのまま持って会長になれたら、それが理想。 あとはちょっとした自覚と責任感があればいい。
今だから言うけどさ……言っていいのかな、……稲葉は会長には不向きな人間なのよ。 リーダーとか若頭的立場ならともかく、組織の長には向いていない。 1年前、こりゃ背伸びをせにゃやっとられんぞと感じた。 なんでかは分からんが。
会長になった途端方々からいろんな意見・話が来た。 上(先輩)から下(後輩)から真横(同輩)から。 時には外(文化部連盟等)から。 その全てに応えようとしたけどさ…無理よ、物理的に。 マジで。
柔軟性があるといってしまえば聞こえはいいが、じゃああんたの基本方針は? と問われりゃこれが曖昧。 頑固じゃないんだよな、稲葉は。 簡単に言いくるめられちゃうもの。 要するに会長になるにはまだまだ子供だったということかな。 振り回されないだけの「重」が足りてなかった。
基本方針で悩んだ1例として。 稲葉が1年生のころのべディックはとても封建的でさ。 今の雰囲気とはだいぶ違ってた。いろんなものが。 稲葉は今の和気藹々的空気の方が好きです。 みんなもそうでしょ。 でも封建的な空気の中にも見るべき部分が無いわけじゃなくってさ、そのへんのバランスに終始苦慮したかな。
そんな稲葉でも1年間なんとかやってこれたのは、頼もしい後輩たちのおかげかな。 ついてきてくれてありがとう。
さて、新会長物井殿はどうかしら。 ありていに言って、彼女は稲葉以上に子供である。 ガキンチョである。 でもそのくせ、自分の意見には頑固な所があってしっかりしてる。 これが面白い。 企画力・決断力・行動力は稲葉の比にあらず。
付いて行き甲斐があるぞ。 6人衆および犬飯殿はうまくこれを補佐すべし。 1年生はちゃんということ聞いてね。 新たに入ってくる後輩は「先輩」の君らを見て態度を決めていくから。 先輩ってこそばゆい響きでしょ?
そういえば物井殿って会長秘書だったっけ。 会長秘書…今となっては懐かしい言葉だ。
文化部連盟の中には人数がいながら、廃部と存続の狭間で揺れている部会がある。 逆に廃部の危機にありながら立ち直りつつある部会もある。 長唄研究会には3年生がいなかった。 だから新会長は2年生だ。彼女はすごく頑張っている。
そんな感じでべディックを見たら…。 とっても恵まれてるよ。うちら。 そんな状況で引継ぎを出来たことには満足してる。
でも恵まれている状況を作るのは会長の仕事じゃないんだよね、ホントは。 君らの仕事なんだ。 自分がいることが、べディックにいる誰かにとってのささやかな幸せになっていることを忘れないでほしい。 その幸せはささやかすぎて、普段はまったく気がつかない。 だけどいなくなると寂しいんだよ。
ね、執行部7役が全員いるってすごいことよ。 稲葉もそんな状況でなら会長をやってもよかった。 そんな状況で会長をやってみたかった。
納会で板倉殿に会えて嬉しくて、ずっとべったりしてた。 言葉も内容も真にタメの会話ができた。 彼女の前では、会長のまま昔の自分が出てくる。
肩の荷をおろしたら、昔みたく、もうちょっと丸くなれるかな。 昔みたく「いい男」になって、したらちょっとずつ大人になっていこう。
夢を見たいと思った。 見ているだけじゃ物足りなくなった。 夢を追うのは子供の専売特許じゃない筈だ。 べディックはそんな場所。 アルカディアにしてノスタルジア。 永久に守りたい場所がある。
……………………。
なーんてことを納会の挨拶で言おうと思いました。
言っときゃよかった。 文章化すると恥ずかしいや。 松屋明けのふにゃふにゃ脳で書きました。 だから変なこと言ってるかもー。 言ってる事ころころ変わってるかもー。
稲葉はねー、悩みっぱなしだったけど会長楽しかったし、やってよかったと思ってます。 こんごともよろしくね。 OB扱いしたら容赦なくぶちます。
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