ゆにっき
UNi



 自分はどうなんだ?

今日、どうしても必要なものがあり、どこにも売ってない為に
自分で作ろうか悩んでいたものが2点あり。

昼休みに100円ショップに探しに行くとまさに
自分がイメージしていたものに遭遇!
あまりの嬉しさにすぐさまかごに入れ、
端から見ると「こいつはそれを一体何に使うんだ?!」
と思われるようなもので、しかもボロボロ気味だったけど、
勇んでレジへ直行。
いやぁラッキー!

もう1つは見つからなかった為、いよいよもって
作らねばいけないかと、うちの同僚に作り方を聞いたりしていたが、
駄目もとである日用品雑貨の店に行くとなんと!
探していたイメージぴったりなものに
またまた遭遇!
本当に今日はついてるなぁと喜び勇んで会社に戻る。

さっき作り方を教えてくれた同僚に
「ごめんね〜〜、たまたまみたらあったから買ってきたの〜」
と言うと

「日頃の行いがよかったんじゃないですかね?」

と言われる。
やっぱり行いは善くしておくべきだ、と再認識。
誰にというわけでもなく、感謝した。


と、ここまでの話にしようと思ったんだけど、
ちょっと書きたい事があるので、難しい話題だけど書いちゃおう。

うちの仕事場によく来てくれる方がいるのだが、
今日その人が来てくれた。

その人は耳が聞こえない。

私はその人がとっても好きだ。
別に耳が聞こえないから同情してる訳ではない。
本当にその人の事が好きなのだ。

その人は耳が聞こえなくても、健常者となんらかわりなくみえる。
いや、むしろ健常者よりもイキイキとしてる感じがする。
いつもニコニコして、優しくて、とてつもない包容力があって。
私はその人を心から尊敬している。

いつも当たり前に、見えたり聞こえたり話せたりしているが
それは本当はありがたい事なんだって事を、
その人を見ると改めて思い知らされる。

きっとその人だって、普通に生まれたかったにちがいない、
そして今までいろんな葛藤もあったと思う。
でも、その人は今本当に輝いている気がするのだ。

五体満足に生まれてきて、いつもなんだかんだと
文句を言ってるよりも、
自分の状態にまずは感謝すべきなんだろう、と。
いろんなことが恥ずかしくなる。

だから下らない事は考えずに、与えられた状態で
今を存分に生きる事が大事だよ、と
教えられた気がした、そんな日でした。



2004年10月14日(木)
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