古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2009年05月19日(火) 導火線

百年前の話ですが。



そこに関わらせる導火線を自分でひいておきながら、
導火線先で被害にあった事実を伝えても『自分で見てないから関係ない』という人がいます(笑)
見てないなら調べるくらいはしないのかあ。


実際、全く、被害じゃないかもしれないんです。私の話はもう、全部でっち上げな大嘘(笑)かもしれないですよ。
しかし、自分で事実を確認しようともしないなんて。
どちらのこともどうでもいいんだなと感じました。


自分のひいた導火線が、『いったん消えた社会的経緯があった』ので自分は関係ないといいたいらしかった。
こうかくとわけわかんないだろうしなんせ百年前だから、私も詳しくは言えないけど(笑)。
正確には、
『灯火が消えかけたけど守られた』
だけでして新しい導火線を作ったんではなく、最初の導火線が『生き残った』んです。
導火線は再構築されてないのでちた。
ここにおっきな認知のズレがあ〜る〜☆
自分中心だとなんでも相手がズレてると思いやすいから私もより慎重に考えないとね。
百年前だから記憶がずれやすいのかな(笑)。


まあ責任のがれが自分は楽ではずかしくないなら、だらしないほうが表面上傷つかなくてすみますし、手数も少なくてすむからなあ。


しかし、自分を守り手間を省きすぎると、信用が……。
人を裏切り、信用されなくてもそういう自分に悩まない、原因のすり替えによる責任転嫁、手抜きが正当化できる図太さがうらやましい(笑)。


生きていく上でしぶとさ、ある種のズルさはサバイバルスキルのうちですが、まねはしたくないなあ。


私には、なんらかの手違いでそうしたかったわけじゃないのに変な迷惑かけちゃうことは多々ありましたが、

私は、自分が紹介したら紹介双方、自分に責任があるととらえてます。よくない報告をうけとめてもどちらの話も聞かないとわからないし、



紹介したからにはなるべくいい関係になる協力はしたいと考えます。


非常識なんでしょうか。


まあ、『私から信用されること』は、その人の中の費用対効果を考えたときに(笑)いらない判断をされたのだなと思います。

さみしい値段づけをされたものだけど(笑)、私がどうだろうと自分には直接的にはデメリットがないから放置するんですね。


それに流されず、この悲しみを忘れないことにより、うらむのではなく、


費用対効果が悪くても、信用を大切に生きていきたい。
信用が一番高いよね。


非常に貴重な経験をさせていただいた百年前の記憶がふとよみがえりました。


○追記○
百年たったから言えるのですが、
道理の通らない人からに、人道的な生き方を反面教師してもらったと思う。。

すすんで受けた授業ではないけど(笑)、ここは人生のレッスン料を反面教師にお支払いするくらいじゃないと、私が道義に反してたりしてたりするのかな(笑)?


まあ、裏切らない、ケガさせたら謝るというのは道理ではないのでしょうか。こわくて歩けないわ。悲しみを伴いながら、教わり百年たちましたが、


誠実にお付き合いくださっている方々に、改めて感謝の気持ちになりました。
私は、『実』のつく言葉がすき。不実はおたがいに悲しいですから。。
よく考えたら、信用されなくても自分悪くないと思われてるくらいなんだから、私も相当、薄情な人をおろかに信用したとも言えます。
=自己責任(笑)てやつ。。なんか、世渡りバカで損してるのバレてるみたいな感じでかなり、今さら体裁悪い気がしてます(爆)。
しかしそれも自分なので消さないでおきまする。



……人に自己責任ゆうやつ、大抵自己無責任とくいよね〜(持論)



でもまあ、人生ひどいばかりではないし。今朝は天気いいし。
皆様、暖かいご支援ありがとうございます(*^^*)という気持ちになりました。

寝起きに思い詰めた文を書いたせいで、
ご心配くださった方々にお礼とおわびを申し上げます。
自分は幸福者だと思いました(*^^*)♪


このまえご近所さんによもぎもちをもらったのでそちらをいただきます☆
平和だな。


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