古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2009年04月28日(火) 自分が悪いなら謝りますの巻き

自分には原因があるのかないのか、考えもせず、……自分が何も悪くないのかどうか、きちんと検証しないで言い切れる図太さと確信が、羨ましい(笑)


ふみにじり行為の歴史があって、怒るんだと思います。怒りの源は踏まれた悲しみだと思うんだなあ。こちらにはわかんなくても踏んじゃってることがあると思うし、
歴史は一秒でできあがるものではないからね。


確かに相手がとんちんかんな理由や誤解でおこってて、瞬間湯沸し器的な怒りをせきずい反射レベルなまんまぶつけてきたとか、多角的にみて(笑)、自分があまり実は悪くない場合ももちろんあるだろうから、何でもかんでもやたらと謝らなくていいと思いますが。
でも何か踏んだんだな?くらいは、
……もいっかい検証しとかなくて、ほんとに大丈夫なんでしょうか(笑)。


自分の何かが相手を、傷つけたかもしれないことを考えない人は、やたら強気に
『悪いなら謝るけど』
などと言います。
傷つけた要因を
『自分で探すつもりがない。だってわかんないから〜』なのが怖いな。
あやまるにしても便宜上の捨て台詞だったりなど。


そんなんだから、怒らせるんだよ……、傷ついてるんだよと思う件が先月他人事ながらありまして、人前で形式的に『見せつけるように謝られている』人が、むしろ気の毒でした。
謝り方のひどさでさらに傷つけられてるのにまるで理不尽なのに『謝ってやったんだからでてっていいですか』的な終止で、
謝ったんだから落ち度はないだろ、怒る権利はもうないよ〜さよなら的な、態度(笑)。

個人的にはひどいなあと感じまして、その人は怒ってたわりに最近はあっさりしてましたが、私は、今さら思い出してなぜだか、泣きたくなりましたが(T_T)うぅ……


自分が絶対悪くないことにしてる、そういうときの顔、みんな同じ顔だと思うし自分がもしそう言っているときは、やはり同じ顔をしているのだろう(笑)。
醜いね。
やめたいし、そうなるのは極力避けたいな(笑)


でも避けるためにお互いの協力が必要なんですよね。
悪いなら謝る。一見正論ですが自分の視点いいワルイはおいといて、
知らないうちに踏みつけていなかったかどうか、
自分でいろいろ考えかたにバリエーションをもたせてみたら、一番最初に救われるのは……私の場合は自分自身だろうと思うのです(笑)


悪いなら謝るじゃなくて、相手が傷ついたことに気づけなかったり気づこうとしなかった歴史を、反省するゆとりはもちたいな。
いつもそうゆうゆとりたっぷりじゃないので醜い過去もあるけど(笑)



簡単には、人の痛みについて、自分の主観のみで妥当不当と決めるわけにはいかないなと思います。

勝手に怒ってると決めつけるのも感情的ですし十分勝手なんじゃないかな。
よいわるい、謝る謝らないの白黒の二分割をはっきりさせたら終わりますではなくて、


よい関係でいたい、
『軋轢を解消したい』
という自主性を相手に伝わる形に工夫することが大事なんじゃないかと思いました。


あまり、いくらゆとりがなくて必死に生きてるからと言って自分の主観による正当性だけを守ろうとすると、

一見自分を守れているようでもかえって信用を削ることもあるなって。
守ることで失うものもあるから、かまえないでいたいです。


かまえてるときってなんか脅かされてるものがあったりもしますよね(笑)北風あたるとコート脱げないから……(*^^*)



まあ、なんだか、自分が悪いなら謝るってゆうのは、仲良くありたいときには言わないでおきたい言葉と感じたことから、だらだら書いてみました。


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