古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2005年05月15日(日) 息のスピード

あちこち細切れにでかけて講座を受講したり、自分も教えたり、コンサート聞いたりして、目まぐるしい週末でした。

そこで二ヶ月ぶりにIさんにあって、帰り道おくってもらってすっごく助かった。実はおとといから私はすっごくだるくて熱ぎみで自分なりにちょっと無理をしてがんばっていてるつもりなのですね。

そこで、「クリニック」はどうしてるかっていうお話を二人でしました。
話している時は思い付かなかったんだけど、今朝おきてみて思い付いたのは、「息のスピード」のことです。
7、8年前までは、とくに女子中学生や高校生は、「息のスピードが早くできないから、スピードの重要性を伝える必要がある」だなんて他のトランペットの先生とも話した覚えがあります。
でも最近は違うような気がする。
傾向としては、音は以前よりクリーンになっているし、息のスピードはあります。
でも、「ゆっくりはけない(すえない)」という問題がおおまかな傾向としては見受けられます。
そこそこちょっと難し気なことまでできるという点においては、昔の平均値よりうまくなっているようにみえるんです。でも、難しくない(ようにみえる)ことがしっかりできないというか。
一見技術的には逆戻りというか、地味な基礎みたいな感覚をもたれやすい部分なので、「自分はけっこう吹ける」という自負があるコにとってそれを指摘されるのは心外らしい。
ゆとり教育とかの影響もあるのか、「大切にされている」のもあるのかな。

なんていうか、基礎って、国語と数学のように、演奏と分断されるものではないんですけど、分断されがちです。

生活のリズムも違っているんでしょうね。単純に身体が若いというのもあるし。
自分なりに速め早めにふいて吹けたつもりになっていて、実際それが合奏にはいるとがんばってるわりに共感もよばないわけです。
つまり、人に伝わらない、人と一緒にできない、チームを音そのもの(指のハヤさとか音の大きさではなく)でまとめられる力が伴わないタイプの単独のそれなりの技術で、うまいつもりになっていて、それを指摘される機会が乏しいという問題にぶつかっていることに気がついてないんです。

吹く側が深い呼吸をもちあわせていない限り、聞くがわもゆっくり聞く気になれないんだっていう深刻な問題のはずなんですが・・・。



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