| 2003年08月23日(土) |
見切り千両、理解するために失うもの |
今日は、昨日食べられなかったぶんまでいっぱい たべました!それでももうおなかがすいています。 そして、昨日は妹と電話していたが、その内容たるや... 妹のいった言葉で一番印象にのこっているのは 「見切り千両」という言葉です。最初、「美国 山嶺(みくにさんりょう)」と聞こえたので、どっかの 山岳地帯にたとえた美しい景色についての話しかとおも ったくらい意味がわかりませんでしたが、説明をうけると、
『世の中には努力すればなんとかなるのだ、という考え もあるけれども、こりゃだめだ、と思ったら、ぐずぐず しないで一刻もはやく見切りをつけなさい。そうする ことは今後のあなたにとって千両にも値することである。』
という「戒め」らしい(笑)。 そして、妹は最近なにか「早々に見切った」らしく、 「これはいろんな経験と知人のアドバイス」による 「正しい判断」であったらしい。なにか得意な様子 だったので、私は、 「もともと見切らなければいけないようなことに 手をだしたあなたがおろかなのだ。手をだすまえに 慎重に検討するべきである」 と、姉としてシビアなアドバイスをしてやった。 しかし、「見切り千両」とは...。ぐずぐずしがちな 私はとてもいい言葉を知ったと思った。 「それって便利な言葉だね!」と感動したくらいに して。でもちょっと情け容赦ないんじゃないのか。
妹はけっこう情け容赦ないのだ。 私が友達に相談されたことを、もちろんその個人データは ふせますが、「こういう話なんだけどさあ」といって 指示をあおいだところ、
「彼女は、遊ばれていますね(キッパリ)」 「え〜、でも、**して**してくれたっていってた....」 「時折誠実になることくらい、私にでもできます。 時々みせる誠実さを、その人のすべてが誠実だと とらえる。こんなばかな話しがあるか。人はいつも 誠実でなければ、い、いけないっ!!(興奮する妹だが、 彼女自身は自分がいつも誠実ではないことも認めている...)」 「は〜。そうか。りえちゃんでもたまには誠実なんだ もんね。そっか、ときどき誠実、は、だめ、と.... すごくわかった。うん、だめですね。」 「そうです。」 「うん、いってみる。その通りに。」 また次の話では、 「彼女は、便利なだけですね。彼に愛情は、ありません。」 「便利って、あんなきれいなめぐまれた人がそんな風に、 どうして大切に愛されないんでしょうねえ。不思議....」 「自分が、多くの人がみとめるレベルの素敵な美しい人で あることに気づかず、自分をかわいそうな、不公平な立 場から脱出させないのは、謙虚ではなくおろかしいので す。それは、純粋だから、という同情もよびません。む しろ、はらだたしく思います。大切にしないなら、その 顔を私にくれと、思います。」 「はあ。腹がたつんですか...なるほど...その顔を、私に くれ、と。たぶん、もらえないけど...」 「そうです。お金をかけても、きれいには、ならないっ。 なりたくてもなれない、そういう女がいっぱいいます。 自分が、美しくも、おろかであることに きづかない。それは、いつも美しいと、あたりまえの ようにみんなに言われるからむしろ全てがお世辞だと 考えてしまい、自分がどれだけ最初からめぐまれているか わからないのです。その他おおぜいのきれいじゃない のに必死にきれいになろうとして、できるだけ幸せに なろうと努力している人たちのことすら気づかないのです。 わたしでさえ、その人のように美しくなることは ないとわかっていながら、幸せになろうと、がんばって いるのです。そういう平凡な女の努力をしらなすぎる。 世の中の現実を、わかっていないのだ!!(妹は ビールをのんだあとなのですぐに興奮していた)」 「はあ〜。なるほど...。つまり、すぐやめろと。 やはり見切り千両だと。」 「そうです。なぜ、おねえちゃんはすぐさまそういわな いのですか。わかりません。」 「ん〜、自分がそういう状況に飽きてないなら、好きに したらって思ったんだよねえ。いいとか、悪いとか じゃないっていうか」 「甘い。甘過ぎる。おねえちゃんもその人も甘いのです。 私達の、人生は、短いのです。遊んでるひまも、 あそばれてるひまもありません。すぐに、すぐに やめさせなさい。ただちに。」 「うん、ただちにやめろ、と...いってみます。了解しました」 「誰の目にも、あきらかではないでしょうか。未来に不幸の 典型がみえます(あんたは占い師か??)」
と、こんな感じで私達ははなし続けた。
そして今日、本屋さんに寄り道をして、立ち読みをしていたら、 またもや印象にのこる言葉があった。立ち読みなので、 不完全ではありますが、こういう感じの言葉 です。
『...理解するために、感受性をうしなうくらいなら そんな理解はしたくない。ひどいことをしている 人にたいして、この人はそういう人だからしかた ないのだ、とわかったふりをするのではなくて、 それはないんじゃない?理解できない。と感じた気持ち をすてないこと。感受性を犠牲にしてまで「わかる」 大人になる必要はない。
何かをわかる、というのはあきらめることではない。 英語だと、わかるようになりなさい、というときに という言葉は Don't be blind とか、Open your eyes であり、わかりなさい、というのは「覚醒しろ」と いっているのがよい例であるように思う。 中国語では、「わかる」というのは「覚悟」と書く、 しかし私達日本人にとって、「悟る」というのは あきらめる意味が強い。たとえば、 所詮世の中は金次第なのだと悟る。 人生いつも思い通りにはいかないと悟る。 人の気持ちなんて信じられないものだと悟る。 ろくな連想をしないので私は「悟る」が「わかる」 とは思いたくない。悟ることが大人になることでは ない。
では、大人になる、わかるようになる、というのは どういうことか。 若い時代は自分が生きるのに必死だから、だまって だれかが何かをさしだしてくれていることにきづかない。 子どものときは、砂場であそんだバケツやスコップ を散らかしたままで帰るけど、それをだれが方つけて くれたのか気にもせず、毎日遊び続ける。 たばこをすう時もそうだ。なんのアピールもせず、 だまって灰皿をさしだしてくれる手があっても、 わからない人は、それをあたりまえのように使って 灰皿をだした人の気持ちに気づかないで、自分は いらいらしてたばこをすい続ける。 大人になるということは、あきらめることでもないし 感受性を捨てることでもなくて、自分のために、己の アピールをしないで何かをしてくれた人の手に気がつく ことであり、それが誰の手だったのかを自分の目を開い てよく見ることである。 それが見えたときに、人はやっと覚醒する。 わかるようになる。それが大人になる、ということだ。』
ね、いい言葉だと思いませんか? 「ものわかりのよい大人」っていう言い方があるじゃない ですか。でも、それってなにか、正義感を犠牲にして、 必要悪があるんだとか、なりゆきでしかたがないことだ からとか、妙に許容しようとするずるさも含まれている こともありますね。 思うこと、信じることをあきらめるのが大人になる通過 儀礼のように感じる時もあります。 でも、「手をだまって差し出してくれた人たち」は、そ んな風な「大人」になってほしいとは期待していないで しょう。 どうして、あの人は、あの時にああしてくれたんだろう か。それを、今がつらいからといって、目を閉じてばかりいな いで、よーく心の目をひらいてみつめなおさなくては いけませんね。 そして、感謝の気持ちをわすれなければ、トビラは 開いていくんです。 「ありがとう」は、「開け、ゴマ」と同じような不思議な 呪文なのです。いろんなことに、ありがとうっていって みよう!すごくがんばれる、豊かな時間がはじまる...。
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