清水先生は中学校3年生の時の担任で、保健体育の先生 でした。妹が、中学教師で御会いする機会があるらしい ので、卒業以来一度もごあいさつしていませんが、ここ に先生の思いでを書きます。
合唱コンクールのときに、先生はクラスのために、その当時 はまだあたらしい性能だった「CDのきけるダブルラジカセ」 を購入されていた。これで録音とダビングができるからとい って操作を説明してくれました。 そして、伴奏ではあったものの、練習指揮をする私に、特別 にといって、指揮棒をかってくださった。 「どんなものがよいのかわからないけれど、楽器屋さんに いって選んで来たよ」 といってわたしてくださったのを覚えています。わたしは、 体育系の行事は学年トップなのに、文化系の行事がからき しだめなクラスのために先生ができるだけのことをしよう としてくださっていると思いました。
歯の矯正をしはじめたことを三者面談のときにはなすと、 「口の中になにかあるというのは、精神にあたえる 影響があるから、デリケートに考えなければいけないね」 といいました。 私はそういう先生の方がよほどデリケートな人なんだなと思 った覚えがあります。よくそこまで人の心配ができるものだ なあとおどろきました。
また、クラスで卒業の祝いをあげるときに、私は田屋にいっ て、自分が一番かっこいいと思ったネクタイを買って来まし た。当時の先生はネクタイがなん通りかしか使ってなかった からという理由です。紺とシルバーグレーのストライプで、 ハンサムで細い先生に似合うだろうと思ったからです。 卒業式がおわって何日かたったころ、先生は実家に訪問され て、「ぼくの好きな柄だったよ。」とおっしゃってわざわざ お礼をいいにきて下さいました。 つねにまごころがあり、生徒のためをおもって尽くす先生で した。正しいことをつたえるのに妥協しないで話す姿は、当 時の年令の子供だった私達には、むしろまっすぐすぎてうけ とめられないときがあり、先生は悲しい思いをしたこともあ るかもしれません が、みんな本当は先生がただしいとわかっているのです。
保健体育の時間のときに、栄養素のおぼえかたをだじゃれで 説明していたのを今でも覚えています。 例えばビタミンCが足りないと、「脚気」になる。というこ とを「かっけっこいちばんC」など。 また、ものを暗記するときには、自分のからだにあてはめて 上から順番におぼえていくと忘れない、などと説明していま した。北高の出身で、みんなはどうやったら頭がよくなるの か先生にたずねたら、「簡単だよ、やればできる。」といっ て一生懸命説明していました。
体育の先生というと、やたら、びしばししてる印象がありま すが、清水先生はどちらかというと、情緒がきめ細やかで、 気持ちの交流を大切にする先生でした。生徒がたとえ心を閉 ざしても、あきらめないでずっととの扉をたたきつづけるよ うな。 そして、泣かないけど、伝わらない(というより伝わってる んだけど生徒が反応しないとき)ときにいつも悲しそうで涙 ぐんでいました。今でも、あそこまで人にむかっていけると いう人にそれほど出会いません。「大人のずるさ」のない人 でした。 教師だから、という以前に人にまっすぐ対峙する真摯な姿勢 をおもちであった先生を尊敬しています。 とにかくいつも一生懸命。
卒業式の時に、自分の手形をおした色紙を全員にくれました。 私の色紙には、「実行力のある人に」と書かれていました。 母親はそれをみて、「ほんとによくわかってるわね」と感心 していたのをみて苦笑いしたものです。 それは今の自分にも座右の銘として、必要不可欠な言葉とし て生き続けています。
余談になりますが、先生が羽賀研二に似ていると評判でした。 学校の先生にしてはスマートな印象の清水修先生。今でも お元気でしょうか。
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