
道標|≪過去を見つめて|あさっての方向へ≫
| 2004年11月27日(土) |
そして11月は暮れる |
「め、出るかな?」
「きっと出るわよ」

長井の祖父母の家では、二歳から父の転勤が決まった五歳までの 三年近くを過ごしたことになる。 隣には近所の幼稚園にお勤めの先生が住んでいて、 姉と兄と私とで、一人住まいだった先生の家の庭を 自分ちの敷地か何かのように入り浸っていた。 とても優しい先生で、今でも私たちは先生の前では あの頃の幼い姿に戻ってしまう。
「せんせい!」
「よしかわせんせい!」
うちの車庫のあたりから私たちが呼ぶ。 先生が振り向いて手を振る。 バイエルの音色。 草いきれ。 カレーのいいにおい。
先生が引っ越すことになった。
今よりも少しだけ遠いところに居を構えるという。 先生の家の庭先に生えていたたくさんの草花は、 すっかり新しい住まいに移した後で。
真っ赤なのばらも。 けぶるようなあじさいも。 もうなにもなんにもなくなってしまった。
グレープフルーツの種を 発砲スチロールで作った急拵えの花壇に植えた。 種は小さな芽を出して、幼い私を驚嘆させた。 自分の唇から飛び出た小さな種が息吹いた。 実はひとつもつけなかったけれど、立派な枝が生えた。
あの楽しかった小さな庭は、もうない。
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