
道標|≪過去を見つめて|あさっての方向へ≫
| 2003年02月13日(木) |
チョコでチョコを作る矛盾 |
3月に温泉旅行に行くことにしました。 私の常宿です。今年も行くことができて楽しみ〜。
巷にチョコが溢れていますね。明日はバレンタイン。 あー聞かないで下さい。色恋は卒業したんです。 会社の同僚らは手作りと背に炎を背負っておりました。 でも、この手作りチョコって私昔からどーよと。 (この場合、チョコ+αブツは省きます) 板チョコきざむとかって!板チョコのが美味いじゃん! つーか板チョコ好きなんだよ!溶かすなよ! 例えば じゃがいも ↓ ゆでる ↓ つぶす ↓ 混ぜる ↓ 揚げる ↓ コロッケ という過程があるじゃないですか。いもからコロッケへの転換。 でも、チョコに置きかえると例えば。 チョコ ↓ 溶かす ↓ 固める ↓ チョコ って、何やってもチョコにしかならない矛盾。 生チョコとかも結構コレ寄りですね。 私は上記のコロッケ理論に料理の達成感を得る方なので チョコをチョコにすることに無意味さを感じてしまうのですが みなさんどうでしょうか。 変形させることが料理なのか?釈然としねえというか! だとすると、日向に置きっぱなしにしてドロドロに変形したのを 冷蔵庫で固めたあの日の私の悲惨なチョコも料理と言えなくも ないのですよ!(いつの時代だ) なんでしょうね。 愛イコール労力?カタチ失敗したドジの可愛らしさイコール愛?
ああ、ひがみじゃないんですよ! 純粋な疑問なんです。 「手作りじゃないと気持ちが絶対伝わらない」とか 真顔で言われて御覧なさい。
溶かして固めただけじゃーん! 気持ちとか怨念こもった発言それ自体がちょっと。 髪の毛とか入ってそうで怖いですサンタマリア。
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