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2004年09月05日(日)



今日は両親ともに居ないので犬と一緒に寝なければならないのだけど、既にベットの上でしっこされた。
布団をはいで、寝ようとしたのだけど、今度はいびきがうるさくて眠れない。

うちには犬が3匹いて1匹が明日帰ってくる、したがって今は2匹

私は少し混乱している。少し何かあるとすぐに混乱する。こんなに混乱するのは私があまりに純粋だからだと信じたいけど、別にそう言うわけではないと思う。
いやだなぁ・・・。
ちょっとした事で悲しくなったり、する。

とにかく、最近人と長時間はなすのが苦手です。話さなくても良い人が居て、それは凄く嬉しい事だと思う。楽なんです。だけど私は話しがしたいのです。
でも話したくないんです。まぁ、いわゆる我侭路線です。

この間友達に「セコってなに?」とデカイ声の寝ごとで質問してしまいました。
夢の中では、家庭教師に質問してたわけですが、『〜セコ』という単位数があって、「要するにやなぁ〜、ここがこうなって、3セコになるわけだ!」と言われたけれど、説明を聞いてもセコがさっぱり分からず、思い切って元々セコとは何なのか聞く事にしたわけです。
ずいぶん長い説明を受けた後でしたから、聞くのに勇気が要りまして、腕を天井の方へ突き上げながら「セコって何よ?!」と言いました。
友達も驚いて、「寝言か??」と聞き返してきて、「寝言じゃない!セコが分からんねん!」と言いました。「だから寝言やろ?」
「・・・・ごめん寝言だ。」




【日曜美術館をフラ〜っと見た】
「オイディプスとスフィンクス」(1864年)
206×105cm、メトロポリタン美術館、ニューヨーク


あまり画家だとかそういうのに詳しい方ではない。
ギュスターヴ・モローをやっていた。名前は聞いた事あったけど、作品を見ようとしたことはなかったので、フラ〜っと見ていたのだけど・・・・。
凄い!ヤバイ!釘付けになった。中でもこの絵がたまらんのです。
何と言うか、とにかく男の目にはかなり思うところがある。衝撃的でありました。






画像をのっけてみたけれど、これじゃあんまり伝わらない。テレビで見たときもっと凄かった。
だいたいあまりこういう絵は理解できないのですが、こいつを見た瞬間私の背筋は凍り付きます。

油彩画以外に抽象画で水彩も紹介していたけれど、それもまた美しいのです。
そして、何故この油彩画に興味が持てたのかと不安であった私の心が落ちついた。
晩年の水彩を見た時に、私もこの人と実に近い気持ちを抱いていたんじゃないか?と恐れ多くも思った。
ヤッパリ強く興味を持ったものは、かけ離れすぎている訳じゃない。

『ここでは、スフィンクスは猛々しい『宿命の女』のヴァリエーションなのであり、青年オイディプスはむしろ『美しい無力』を代表するものでしかないのである。/澁澤龍彦』??激しく理解できないのです。
渋澤さんの本は読んでないので、顔が気に入らんと一応言っておく。

【モローの言葉】

「私は手に触れたものも、眼に見たものも信じない。私は眼に見えないもの、感じたものだけを信じる」

「私の頭脳とか私の理性とか言っても、陽炎(かげろう)みたいなもので実在さえも怪しい。私の内部の感情だけが永遠であり、議論の余地なく確実なもののように思われる」
/ ギュスターヴ・モロー


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