カウントシープ
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2006年04月07日(金) |
猫の首に鈴とは言うが |
時々鈴を身につけて歩いている人がいて、その人が廊下をあるいていくときとか、こちらからは誰がとおって言ったかすぐに解るのだけれど、そうして自分がそこにいることが周囲に知られてしまうのってどうなんだろう?って思うときがある。
同様に、車のマフラーを弄っている人も、近所からすれば「ああ今日もあそこの息子さん出て行ったわ」とか、自分の行動が把握されてしまうような気がする。 けれどこれは、周囲に自分のことを知られなくないからこそ出てくる発想で、知られてもべつにかまわないなら何の問題もない。
マフラーを弄っている若者に関して言うならば、むしろ周囲に知らしめてやりたいというニュアンスもあるかも知れない。その騒音と取られる音を聞く自分が心地よいとしても、それが周囲に響き渡っていることを意識しないではいられないだろうから、この場合はとんがっている心の表現の一つなんじゃないかしら?
冒頭に戻って、鈴をつけて歩いている人をよく観察してみると、その鈴はお守りやらなんやらに付属しているものであり、鈴は付属品であるようだ。そして、そのお守りやらアクセサリーは、他者からもらったものであることが多いように思う。 つまり鈴は、自分の意志でもってつけているのではなく、他者からもらった鈴以外のものに、鈴がおまけとしてついていたのである。
鈴をつける意味は、小さな音のする可愛らしさ、という付加的な装飾であろう。チリンチリンと小さく響く音は可愛らしいし、小さな子供はそうしたものを好むだろう。そうして、意識しないままに鈴の音をさせて、我々は時に廊下を歩いているというわけだ。
何を隠そう、ボクのポケットにも、ヒトからもらった手作りのキーホルダーは入っていて、それには小さな鈴がちゃんと付いているのだから。
ロビン
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