言い訳するやつは大嫌い、そう思っていた、 だから、仕事で、〜忘れてますよ、って言われても 「すみません」と 謝り絶対言い訳しない主義でいた。 仕事面ではそれを通してきたつもりだったが、 よく考えれば 私の人生だいたいが「言い訳」だらけだった。 進むべき道を突然変えたり、過ちを犯してみたり、すべては 言い訳が自分の心の中にあって それが背中を押していた。 それこそが言い訳なのかもしれないが。 すべてをクリアーにして 言い訳のない風通しの良い環境にしたい、と 最近思うようになった。 言い訳は壁となり、まるで前が見えなくなる、 道がわからない、同じところをぐるぐる回って 疲れだけが残って 達成感もない。 壁が邪魔だからって、そんな言い訳があるから。 それでいいのかな? 少し、ほんの少しの言い訳なら それはそれで道の灯りになるだろうけど まるで言い訳だらけだったら灯りではなく、迷路になるだけ。 抜け出したい、抜け出したい、そう願って モガモガもがく。 今はまるで言い訳の山に潰されて 今まで隠し通した「真実」が 重くのしかかってきたようだ。 時にはすべてに対する「反省」が必要だと考えている。 すべては私が起こした事、すべてに私の責任がある。 他人さまには迷惑はかけない、って子供に言ってても な〜んだ、私が一番迷惑かけてんじゃん。 って、気がついた。いや、知っていた、だけど 言い訳でもみ消していた。 真実は見たくない事で知りたくない事で 自分に都合のいい言い訳だけが 背中を押してくれればそれでいい、と思ってた。 違うよね。 私が知らなければいけない真実、それは だいぶはっきりした姿になってきた、だけど、その真実を飛び越える自信がない、怖い。 怖いから逃げた、怖いから目を瞑った。 それが真実。 だったら 怖いけど逃げなかった、それが答えなのか? それは違うと思う。 真実を飛び越えるのは我慢するのではない。 我慢せずに 自信を持って飛び越えてこそ 本当に「クリアーしたこと」になる。 だから、自信を持てるように私自身がもっとたくさん経験して 勉強しなきゃいけない、と思う。 何が勉強なのか、それはわからないけれど 今の現実をひとつひとつ 小さなクリアーを繰り返すことで 自信につながると思う。 言い訳という癖をつけたのは私だから、 これからは 言い訳という癖を消去できるくらい たくさんクリアーして 壁だらけの道に風を通し、自分が自信を持って進める道を造りたいと思う。 目標は高く、道は険しく、 それでも きっと必ず地道に生きてりゃ きっと先に見えるものは でっかいでっかい門だと思うな。 そのでっかいでっかい門を 笑ってくぐりぬけれたら きっと めちゃくちゃ幸せだと思う。
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