「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2017年05月25日(木) 悲しみを感じたら

人と関わっていると、時々不快になったり悲しい思いをすることがありませんか? 特に仕事をしていると、職場においてはその頻度が高いのではないかと思います。例えば私の場合、先日、職場で男性上司と電話で話をしているときに上司が他者の命を軽視していると受け取れる言葉を口にするという出来事がありました。私は予期せず飛び込んできたその言葉に戸惑い、返す言葉がありませんでしたから、沈黙の数秒が過ぎました。上司の使った単語を書いて表すのは控えさせていただきますが、ここに書くからにはそれなりに過激な言葉であったと想像して頂けるとうれしいのですが、このように、上司の言葉に傷ついたり戸惑ったりするケースは世界各国で起きることだと思います。

その後の経過は省略させていただきますが、私は当初、受け入れられない物事に対して沈黙という形で抵抗した自分を評価し、仕事を終えて自宅に戻った後には、すっかりその出来事を忘れていたのです。ところが。。。

それから数日後、その時の様子を同僚に話していたときのこと、しだいに胸のあたりが重たーくなり悲しみが沸き起こってきたのです。あれれ?と不思議に思いませんか?上司と会話をした当初は、私はただ予期せぬ状況に戸惑っていたのみなのに、数日後の私は戸惑いに加えて悲しみも感じているのです。何だか変でしょう?私の中で何が起きたのでしょうか。

実は、悲しみという感情が加わった理由は単純です。悲しみの直接の原因は上司ではありません。上司の言葉は私の心の扉を開く引き金にしか過ぎないのです。つまり、大人の私は、上司の言葉を聞いて、うんと昔の子どもの頃に家庭内で日常的に聞かされていた大人同士のネガティブな会話を思い出し、それに伴う子ども時代の悲しみに巻き込まれたのです。もっと簡単に言うと、大人の私が自分の潜在意識の中にいる傷ついたチャイルドに巻き込まれる、という現象が私の中で起きていたのです。

大人の私はチャイルドに巻き込まれていても、子ども時代と違って、感じている悲しみを隠したり、感覚つまり感じる度合いをコントロールしたりすることが出来ますから、子ども時代のように気が済むまで泣いたりしきりに誰かに訴えたりはしません。別の言い方をしますと、大人の私は悲しみに巻き込まれた自分を抑圧することが出来るのです。無意識に。しかし、そんな自分をよーく観察してみると、どこかしら活気がなく、私自身の好奇心がここ数日、幾らか小さくなっていたことに気が付くのです。

いつでも同じことですが、気付きは変化のきっかけですから、私はすぐにトラウマを癒やす作業をし、今は、いつものように晴れやかな心でここに座っています。どなたか他の皆さんにも同じような経験はあるかな、と思いながら。

自分観察は何よりも面白い遊びの1つです。もしよかったら、あなたの体験を聞かせていただけませんか?
貼付の写真、ピントが合っていないんですが、気に入っているので載せちゃいました♥




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