「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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ご無沙汰していました。実は全米ヨガアライアンス資格取得のためのレッスンに通っていたので、睡眠、食事、おトイレとシャワー以外の殆どの時間をヨガに利用していました。ちなみに、資格が捕れるのは少し先のことです。これから数ヶ月自分で丁寧に練習し、春にもう一度2回めのクラスを受け、解剖とヨガレクチャーの試験にパスすると資格が取れることになっています。
今回一緒に勉強した生徒さんは殆んどアメリカ人の女性、男性は2人でそのうち一人は日本人でした。年令的には、私よりも若い方が半数で、残りの半数は私と同じか少し年上の方もいらっしゃいました。ここで既に、日本文化と後外に気付かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、日本では、60代近くになって新しいこと、特に身体を使うことに挑戦しようとする女性は少ないのではないかと思います。
年齢幅も含めて、経験の度合いも違っていました。運動系のお仕事をされている方、ヨガに魅了されてヨガの世界で生きている方、それから、東洋医学系のお仕事をされてきた後、ヨガにたどり着いたという方など。私の場合は、身体と心のつながりを深めることにこの上ない魅力を感じていますし、自身の体の成長を観るのはほんとうに楽しいですし、この楽しみを人々と分かち合えたら、という思いからヨガを続けています。そして、せっかく米国にいるのですから、英語でレクチャーできるようになるのもまた楽しいのではないか、という思いです。
基本的に英語技術の不足がある私、皆さんの英語をなんとかかんとか一生懸命聞き取りながら、わからなすぎて落ち込みそうになる私を手伝ってくれたのは、ヨガインストラクターとして活動したい私におつきあいしてくれている日本人の生徒さんたちを通してほそぼそと続けているヨガクラスでした。それから、周りの人のほんわかした空気の中で、アメリカ生活の中で一番充実した日月だったと思っています。
さて、そんな私、最終日の数日前に、あることに気付いたのです。 心のことを勉強し始めてからずっと、なが〜い間、そして今でもヨガクラスを開く時、自分の子ども達と語り合う時に、心に留めているいることが1つ。(他にもたくさんありますが)
私は、教師やヨガのインストラクターなど、他の人の成長を手伝う仕事をする時、彼ら(生徒さん)の成長は彼ら自身の力によるものだ、ということを手伝う側のほうが意識していることが基本だと思うのです。というのは、私は日本で度々”おかげ”という言葉を聞来、その言葉に違和感を感じてきたからです。
私のお伝えしたいことは、教える立場の人を無視していいということではないのです。もちろん、成長したい人をよりよい方法で導いてくれる人々は貴重なのです。そして、”おかげ”という言葉で、せっかく持っている自分の能力をどこか卑下したり小さく見積もったりしてしまう可能性があるので、気をつけたほうがいいということなのです。
私はこのアイデアを、特に自分の子ども達と語り合う時に意識します。彼らは彼らの力で生き延びているといつもいつも自覚しておくと、私自身を心の自立を手伝い、良い毎日を作るきっかけが掴めると分かるからなのです。
さてそんなある日、レッスンでインストラクターとしての活動についてのディスカッションを受けている際、私はこのアイデアについて発言しようと準備していたのです。ところが、ふと気づくと、と言うより、気付くのが遅かったのかもしれないのですが、レッスンの始めから終わりまで、それぞれの生徒さんが自由に発言し、それはインストラクターのコメントに追加する形であったり、時には反論する形であったりとバラエティに飛んだものなのですが、どうも見ていると、インストラクターの方は生徒が意義を申し立てることにネガティブな感情を持ったり、上からの目線で生徒さんの動きを止めようとするような動きが見られない。つまり、彼らは、私の目から見て、彼らは生徒さんと同等の立場にいるように見えてきたのです。ですから、私がこの10年間折に触れて思い返してきたこのアイデアについて、彼らの中に既に浸透している、当然のこととしてあるのだという結論にたどり着きました。
日本とアメリカの大きな違いだ、と思っているのは私だけでしょうか。それとも、私と同じように感じている方もいらっしゃるのでしょうか。いずれにしても、この気付きは私のココロのドアを更にオープンにしてくれました。自分の持っている能力は、他の人と比較するものでも自分の中にしまっておくものでもなく、持っているもの、自分を活かすものとして、大いに活用していいのだと、改めて感じた時間でした。
毎日が更にワクワクです。
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