「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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近くの保育園へ面接の日。 実は病院に就職が決まっている。だから、断ろうかどうしようかと迷った。自分が何故、そうしたがっているのかを書き出してみたら、行っても行かなくてもどちらもOKの自分が居た。 どちらもOKならば、動くということをするのは自然の流れだった。 いつものように自分を語った。心の傷を癒やして生きている自分を伝えるのは、今では私の自己PRの定番だ。 聞いてくださっている3人の幹部は私の話にうなずいた。誰も皆、生き辛い社会であることを知っているのだ。
したいことがある。その為に動く。そこは人生の通過点のひとつだけれど、出来るだけ早めに通りたい通過点。 その扉を開ける時期を半年後に決めた。これから私は、自分の決めた基準に添って生きるのだ。 こうした書き方をすると、えらく意気込みの入ったようなものに受け取れる。けれども実際には、半年を楽しもう。その一言だ。人生は楽しむために在る。楽しく生きたい。
心友と、本を書くということについて語り合った。私の文章は、辛さを書くには慣れている。そしてプラスの表現は下手なのだ。 今日までの5年間弱、文章については自分なりに吟味してきた。一様に“私は”を入れてみたり、代名詞を使わない書き方を意識してみたりいくつかのことを試してきた。 “私は”を入れ続けた時期の日記は、当時でさえ、違和感を覚えながらTryしていただけに、今では表に上げることすら恥ずかしい。“ですます調”は読む側はやさしくあるけれど、場合によっては回りくどい。 そして今書いている書き方はメリハリがあるけれど、強さがある、と感じるのは私の偏見か。
先日は本屋に行って、文章の書き方なるものを立ち読みしてきた。しかし、文章を書くときに大切なのは文法ではないのだ。マニュアルではないのだ。心を書くということをテーマにした解説本は、どこかにあるだろうか。
という風に、今日のところはまさに、感じるそのままに書いてみた。ルソーの手法を少しばかり真似て書いていみたのだ。 なるほど。文章に抑揚があるように感じる。違う視点で楽ちんである。そして今ここに書いたようなことを、これからどこまでやさしく表現できるようになるのか。
“心を通して書く”ということを楽しもう。
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