「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年12月28日(木) 現実

 2006年最後の仕事。

 午前中、50代の保育士さんから、「Mamoちゃんの子どもさんはいくつなの?」と聞かれました。
心に、小さな波が立ちました。先日子どもがいることを語ると決めたときから、いつか何かを聞かれるだろうと想像はしていました。自分の語った言葉に責任を持てる自分を意識していようとも決めていました。私の生き方について、どんな言葉が返ってきても、対峙できる自分を育てようということです。そして、早くもやってきた第一弾。
 ところが私は、3年半前に分かれた子ども達の年をいつも思い出せません。(たぶん…)「小学生」と答えると、次に「年に何回かとか会ってるの?時々会えるの?」と尋ねられました。私は、会えないと伝えることで、自分の弱い部分を刺激してしまうような気がして、会えないとは言えませんでした。とっさに、「状況が許せば…」と答えてしまいました。保育士さんは私の事実とは違う解釈をされました。今の時代は、母親が子どもと離れて暮らすとは考え辛い世の中なのです。私は訂正をしませんでした。
 そのあと、「私はネ、子ども達に “お母さんはもっと、あなた達の心を分かるお母さんになれるよう勉強してくるから待っててね ”と約束をして分かれてきたの」と伝えました。
保育士さんは少し黙って、それからうーんとため息のような息を漏らして、「そんな難しいことを…」と言いました。ところが、その時私の脳裏には、3年半前に子ども達と約束してきたことは、おそらく可能なのだと、プラスのイメージが沸いていました。ですから、保育士さんには、「出来るか出来ないかは別にしてネ。そしてたぶん、出来た分は出来るかも」と伝えました。保育士さんは「へぇーっ」と言いました。
その後は、「子どもさんは何人いるの?2人くらい?」「う〜ん、そこはまだ内緒にしておかせてね。きっとびっくりすると思うから」「え〜っ、まさか5人くらいとか…」(近いなぁ…)。
 昼休み、車の中で子ども達の事を思い出しました。二つの目に涙がたまり、あふれて落ちそうになりました。でも、今泣いている自分を続けていては、私は現実から遠のき子ども達との約束さえ忘れてしまうかもしれません。だから、現実を見ようと自分に伝え、心を新たにして午後の仕事へ行きました。もちろん、約束を果たすことは目の前の目標の1つ・点の一つです。そして私は自分の人生の為に、現実を見たいのです。

 退社して家に戻ると、中日新聞の方がGobamcanの取材に来ていらっしゃいました。
私も同席させていただいて、質問されるままに、裁判のこと、自分の動き、今の自分になれた経緯を語りました。ジャーナリストは、私の子ども時代と私が子ども達にしてきたことについていくつかの質問をして下さいました。私は、私がどれほど子どもを大切にしたくても、自分が生き辛いままではどうにもならなかったこと・そればかりか傷つけてしまうことがたくさんあったこと。根底は自分が子どもの頃心に受けた傷を抱えたままの大人であること・そして、心の傷を癒やしていけば大丈夫なのだということを語りました。それから、誰にも自分の人生を語れるような生き方をしたいとも。 ジャーナリストは、連鎖という言葉を使ってうなずいておられました。
 それから、ファシリテイターとして育つということについて、「こういう場合(育ちを手伝う場合)、出来ているうちはいいけれど、そのうち、自分の思うようにならないと、ついつい、何やってるんだという言葉が出てきますよね」と仰いました。
私も過去には子ども達に同じことを感じ傷つけてきました。そして、今の社会には、同じような言葉が飛び交っていることもわかります。ジャーナリストの言葉を聞きながら、私はプラスの自分の感じたものを大切にしようと自分に伝えました。

 社会の動きの話では、ジャーナリストは、「自分達は弱い人の意見を吸い上げて社会に伝えることが仕事です」と仰いました。私は「吸い上げる」という言葉に「理解する」とか「取り入れる」とは違うニュアンスを感じて好感を持ちました。
ストローでジュースを吸って飲む様子を想像すると、「吸い上げる」というのは、自分で吸いあげる。自分が飲もうとした分だけ上がってくるのです。ですから、ジャーナリストとは、社会の底辺に居る私達の言葉をご自分の心に添って吸い上げて下さって、伝えきれない私たちの代わりに代弁して下さるということのように感じられたのです。私達の言葉を聞いてくださるときには、上からでも下からでもない私たち市民と同じ位置で、その方の基準に沿って動いてくださるということのようにも感じました。記者というお仕事をされるときには大切なものなのだなぁとも感じました。

 夜、一人自室で、「机の配置が変わってる」と言っている自分に気付きました。よく気が付けた。すぐに気が付けた自分を認め能力にして、「何が間違っている?」と自問しました。
 間違っているのは、机の配置が変わっていると言っている自分。原因は、子ども達や過去の詳細をたくさん語ったからでした。 そして、本来の私は、暖かいお風呂に入りました。

私はいつも、本来の自分を大切にして、現実を生きるのです。


Mamo |MAILHomePage

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