「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年08月26日(土) 性と死を見て

 過去の性の虐待や死を見るとき、心細くなることがある。こんなときには、「そうだよね・そうだよね」と心を傾けられたくなる。
けれど、私の変わりに何かをしてほしいとか、今の自分を判断してほしいのとは違う。ただ、「そうだね。そうだよね」と、それでいい。
そして、もう大丈夫かと思っても、過去の場面はいくつもある。だから、何度も何度も、自分自身に「大丈夫だよ」と伝えている。
 性の傷は暴力の傷と同じだという人も居る。そうだろう。けれど今はたぶん、頭では分かっている私だろう。心に感じ取れれば、楽に癒していけるだろう。

 死の傷を見るときには、「生きていてもいいよ」と自分にしっかりと伝える。
今の私が、「少しでも壁を薄くするために、自分に、生きていてもいいよと伝えている」と語るのを見て、笑う人も居る。3年目の私の言葉としてはおかしいのだろうか。…おかしいかな。でも当事者の私にとっては、大切な言葉だから、いいや。


 考えてみれば、名古屋へ来る前に、自分の心が過去の傷で傷ついていると知り、自分で癒やしていけると知ったときから、私の心の事について、誰かに助けてほしいと思った事は一度もなかった。パートナーに、自分の過去を語ったときでさえ、当時の私は具体的な癒やし方は知らなかったけれど、「助けてほしいと言っているのじゃないの」と涙ながらに訴えていた。 
あの頃は精神薬を持ち歩き、生きているのが精一杯だったのに、どうして自分を訴えることが出来たのかと、不思議な気持ちもする。
そうか、否定されることの辛さから、否定されなければ大丈夫だと感じ取っていたのかもしれないな。

 自分で心の傷を癒やしていく気持ちは、今も、これからもきっと同じだ。
これまで生きてきた私が居るから、これからもきっと自分で出来るはず。
私の、生きる力だ。
だから、やっぱり、死なずにここまで来た自分は大きな能力だ。

 一人で生きよう。
 誰かに判断を求めたり、他者を基準にするのは違う。自分のスタンスを持って生きよう。どこまで成長したかは、後から感じられるものだろう。


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