「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年04月07日(木) 「謝罪する」ということ

 職場でミスをしました。それは病院という場所であってはならないことでした。ミスを犯したのは私です。私は患者さんに電話をして謝罪し、その事に関して患者さんの 「意向に沿う」 事を伝えました。その日家に帰ってからの私は、体に 「鉛のような重たさ」 を感じました。「おかしい」。悪かったのは私。だから謝罪した。後の 「対応」 も考えた。動きとしては全て「プラス」。「なのにどうして疲れるのだろう」。

 実際には 「言い訳をしたい自分」 がどこかにいて、自分の気持ちを隠す為に 「必要以上」 に 「丁寧な自分」 を 「演じている自分」 が居たのです。
「電話の応対」・「きれいな言葉」・「笑顔」・「あなたの意に沿わせて頂きます」という「受身の言葉」。どれもが 「優しい」・けれどそれは私のどこかで 「作られたもの」 だったのです。だから家に戻った私は 「鉛のように疲れていた」 のです。
 そして久々に感じた 「鉛の重たさ」 は、過去 「良い妻・良い母」 をしていた頃の 「疲れ」 と類似していました。「偽りの優しさ」 は 「疲れる」 のです。「嘘」 は 「続けられない」 のです。そして私はそんな自分に気が付いたから、又変えていくことができますね。

「謝罪」 は何の為にあるのでしょうか。1つは相手に迷惑をかけたことへの 「お詫び」 の為に・そしてもう1つは 「私自身の次のステップ」 の為にあるのだと思います。「謝罪すること」 は、「自分を許してもらう為」 にするのではなくて、「自分の行動」 に 「責任」 を取る為にすることなのですね。22:00


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