「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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仕事の日。 ナースコールで呼ばれ利用者の元へ行った私に「優しい人だね」と言う人が居る。私の名前を尋ねて覚え、そして 「今度は何時来るの?」と確認してくる人が居る。就職して半年間に、そんな人がいつの間にか何人かに増えていて、私も自然に時間があればその人の元へ足を運ぼうと意識するようになっていた。今日も又その人のベッドサイドに立ち、話をしている中でふと思う。「私はこの人の部屋を訪れる時、優越感を持っていないだろうか」 過去にも私の中にあった「優しさ」、過去には傷を隠し生き延びる為のひとつの方法であった「優しさ」
今はどうかな。 「私はどんな風に考えている?」と自問しながら考える。 「あなたがナースコールを押したから私は今此処に居る。あなたが自分の気持ちを語るから、私はそれを聞こうと出来る。あなたが心を語るから、私は心で考えられる。そしてあなたが自分を何とかしようとしているから、私はあなたを手伝える。そして、心で語ろうとする私は、自分を意識するべく生きている」
「あなたが居る事が素敵であり、私が居ることが素敵なのだ」 私はこの事を忘れないでいこう。例えば素敵な事をしていても、そこに優越感が入っていたら、自分を傷つけてしまうから。
今日は仕事帰りに自転車屋さんに寄ってみた。自転車とは意外に高いものなのだね。欲を出せばきりがないが、出来れば軽くて丈夫で長持ちするのがいいかなと思う。遠出をして見たい気持ちもあるからシティーサイクルでは間に合わないと思う。自転車やのおじさんは私にいろいろな事を教えてくれたけれど、おじさんは全身からタバコのにおいを発していて、私は話を聞き続けることが出来なくなり、パンフレットをもらうことだけをして店を離れる事となった。
最近の私は「嬉しい」と思う事がよくある。嬉しいとか楽しいとか言う感情はプラスの感情ではあるけれど、例えばその気持ちの中で有頂天になったままの私が居るのなら、私は巻き込まれていることになる。そしてこんな場合、目立ったマイナスではないけれど、ほんの少しずれた事をしている自分を感じる。どうすればいいのかな。感情と思考を切り離していこう。巻き込まれないように、自分を見つめていられるように腹を据え、そしてゆったりと生きていこう。
2004年9月1日付けの新聞に、 米国のブラウン大学で 『頚椎損傷で首から下が麻痺した男女が「思うだけ」でパソコンを操作する臨床実験を始めた』 という記事が載っていた。脳内に埋め込まれた専用のコネクターを介してパソコンを操作することが出来るように訓練するらしく、これから2年程かけて効果や副作用を調べるそうだ。この場合は脳内に物質を埋め込む事になるのだが、実際に 「思うこと」 で信号を発する 「脳内電気信号」 は既に確認されているらしい。この実験の場合には頭にコネクターを埋め込むことでこれを行えるらしいのだが、 「思うこと」 が先の行動の動機付けになるというのだから、将来的にはコネクター無しでパソコン操作できる人が出来る事も考えられる。もちろんそれは、過去にマスコミで騒がれた超能力のようなものとは違うのだ。
私は 「生きる事」 をし続ける為に、自分の能力を最大限に生かそうと意識して生きている。そして多くの可能性を持っている。私自身が、そう思い続けて生きていくことこそが、更に多くの可能性を引き出すのだろう。 私は自分自身のファシリテイター・・。22:00
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