「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年05月10日(月) 心を通過した風。自分に何かをさせること。役割 ミナミの傷さん

2004年5月10日(月) 心を通過した風
なんとも言えない夜勤だった。仕事が始まってすぐに、一晩のペアになる方があなたメッセージで言うけれど、私の話を聞いてはくれないと分かった。それでも私は分からないことは聞いていこうと思った。
私は夜勤の始まりから利用者の食事を間違えて配るというミスをした。私は傍にいた職員に謝罪してどうすればいいか尋ねるときつい言葉が飛んできた。私は自分が間違えたから仕方がないと切り替えて次の行動に移った。
 深夜になり、ステーションで翌朝の薬の準備をしているとナースコールが鳴った。私はコールを取ってちょうど薬をつめていた。「ちょっとお待ちくださいね」と言って、薬をつめる手を急がせた。そこにペアの職員さんがやってきて 「あなたはそこで待機してるんじゃないんですか?ナースコールがなるってことはこの部屋の人は寝てないんだってことがわからないんですか?待機ってコールを取ればいいってわけじゃないでしょ」
私はその人の言葉の意味をすぐに理解できず、何かを尋ねる事も出来ず混乱した気持ちを切り替えようとすることで精一杯だった。それに、ペアになる人によってはすぐに行かなくても大乗という人もいるのに。
自分は今、自分を無視したのか切り替えたのかも分からない。ただ長引かせないで楽しく仕事をしようと思う私が居た。「怒りを引き伸ばすのは自分だ」という言葉を思い出した。怒りを持続させているとつまらないし辛くなるのは分かっている。切り替えてみたかった。私がこれまで学んで来た事を確認するチャンスのようにも思えた。同時に“楽しく仕事をしたい気持ち”と“戸惑っている自分に何かを言わせてあげることが出来るのかな?”という小さな好奇心も持っていた。私は楽しみたい。そして楽しんでいる自分の動きを見たい。“楽しく仕事をしたい”は、自分に優しく接することである。
私はペアさんに、少し警戒しながら「ペアになる方によって方法が少しずつ違うので、こんな風にして欲しいというのがあれば伝えて下さい」と言った。ペアさんは始め怪訝な顔に見えた。私が「出来るだけスムーズにお互いの仕事が流れると良いなぁと思って」と伝えるとペアさんは「その日によっていろいろと違うからね」と言い、私にはそんなペアさんの顔には少しだけ笑顔があるように見えた。私は安堵した。人の笑顔はそれを見た私にも心地よい。
さて、夜勤のクライマックス。朝のおむつ交換の時間がやってきた。この時間も“ 介護さんに聞いていきながらやっていく ”という基本形がある。介護保険施設では介護士さんがプランを立てて動いている場所なので、私達は身体の観察以外の殆どをケアさんに確認しながら動くものだと捉えられているからかもしれない。けれど、ここでも又また否定の言葉が飛んでくる。いいと思ってしていることがそのペアさんにとっては間違いになることがある。「えーっ。もう何回もやってるんでしょ?まだ覚えていないんですか?いちいち教えながらやっていかなきゃならないの?ちょっと待って下さいよ。本当なの?」エトセトラエトセトラ・・・。 「 またか・・・。ドウシテ?? いつもと同じ事をやっているのに・・ 」 本当は思い切り反論したい気分なのだ。 「 二度と夜勤はやらない 」 とさえ思う。でも、ここで原因を考えていると私は朝の忙しい時間に混乱してしまう。それではいけないと又切り替えて・・・。分からないことを尋ねると否定されるので、聞かずにおぼろげな記憶を頼りに動いてみる。それでも少しでもずれると否定される。聞いてからするほうが確実だと思って再び聞きながらやってみると、それも否定される。私も限界になってきた。尋ねる自分の声が怒りを含んで投げやりになっているのがわかる。それでも構わない。 目の前の人には私の怒りも通じないかもしれないから。
怒りに巻き込まれて大切な自分の業務が遅れ気味。おまけに今朝は採血する人の血管が細くてなかなかうまくいかない。焦る気持ちを切り替えるよう意識しながら何とか業務を進めていく。この後には食事の為の離床作業が待っている。臥床している利用者さんを車椅子に乗せて食堂まで連れて行くのだ。看護の仕事を終えてようやくケアさんを手伝いに行く。ここでも人によっての進め方があるようだから 「どんなふうにしますか?」と聞いていく。ところが又もや否定の嵐が待っていた。「 えーっ。まだ覚えてないの?ちょっと大変だヮ・・」その人は困ったようにため息をついた。心に貯まった言葉が浮き出てくる。「あなたは150人の情報を全部一度に思い出せますか?」(ちなみにその人は固定した場所で40人だけど)私はその言葉を飲み込んで、「 それでも教えてもらえると楽しく仕事が出来るし・・ 」 と返した。するとペアさんは「冗談じゃないですよ。楽しければ良いなんて、私達は必死なんですよ。皆必死で夜勤をこなしているのに、楽しく夜勤するなんて勝手なことを」
私の限界がやってきた。どうにも虚しさがこみ上げて抑えられない。怒りではない。怒りという感情を通り越して虚しさとか寂しさとかそんなものがこみ上げてくる 「どうしてこんなにも否定ばかり。これ以上私を責めないで下さい」 。私はそう言って部屋を出ようとしたけれど、踵を返してその人の前に立った。
「私は入職したときに“ペアになる介護さんで方法が違うから確認しながら動くように”と指導されているんです。私も介護さんも動きやすく出来ればと思うから、私のわからないことを聞いているだけです」と言った。そして 「楽しければそれで良いとか、ただそれだけで良いということは少しも思っていない。そう捉えられるともう何も聞けないし出来ない。聞かなければ方法がずれて二度手間になる。聞けばまだ覚えていないのと言われる。私は介護さんの手を煩わせる目的で聞いてるわけじゃないんです 」 介護さんは私に何か言った。途中の言葉は私の耳を素通りし、最後の部分だけが心に届いた。「 でも私達も聞かれてわからないこともあるし、看護婦さんによっても違うから・・」
そうだったんだ。介護士さんも戸惑っていたんだ・・。私は「お互いにわからない中でやろうとしていたのですね」と言った。私の中に、この一晩で否定の嵐を受ける原因があったかどうかわからない。介護さん自身の戸惑いが私を否定しても良い理由になるとも思えない。今分かるのはお互いに相手に自分を合わせなくてはならないと感じる重荷の為に苦痛を抱えて仕事をしていたという事。私は(それなら残りわずかの仕事時間を私は目の前の人と話し合うことでやっていってみよう」と思った。
 勤務時間が終わった。「お疲れ様でした」と伝える私。ペアさんは「お疲れ様、又よろしくお願いします」と笑って言った。
 少し前に、「自己を確立させる事を意識できていれば、自分と違う他者も受け入れられることを知った。受け入れる? そのイメージには追いつかない。そしてこの出来事は、マイナスの社会でどう生きるのかと言う今の私のテーマの大きなヒントになった気がしている。後は考察していく事なのかな。分からない。私は今回のような経験を何度もしていく中で何かを確信するのだろう。


 自分に何かをさせてあげるというのは、どんなときにもそう考えていて良いのかな?マイナスの状況ではなくても、いつでもそのように捉えていれば、“壁を背にして自分を眺める”という言葉が使えるのかな?


 

 PCに残した子ども達の絵を消せずにいます。私の手元に残っている、子ども達に関するものはこの絵のみ。これを消してしまったら後には何も残らないと思っているのです。それにしても、消してしまうことで何も残らなくなるとして、では消していない今の私が持っている“何か”とはいったい何でしょう。よく考えてみると、私が大事に持っておきたいと思っているのは、“母親”という役割を持つ自分でした。ただの役割、今は子ども達を傍で見ていることが出来ないと知っている私が、それでも持ち続けようとしている役割。この役割を行き着くところまでたどっていくと、美奈子という人格の存在に辿り着くのです。そんな事をしていたら、ミナミの傷さんという、“ 美奈子の傷ついた感情を持つ人格 ” が現れて、「 私も傷を癒やしたいのでチャイルドを引き出す方法を教えて欲しい 」 と言いました。 でもね、分かるんです。ミナミの傷さんにチャイルドは癒やせない。自分自身が傷なのだから、誰かと一緒になる必要があるのです。そしてその誰かは、もともと同じところにいた美奈子が最善なのです。更にその美奈子は今は何処へ? もしかすると私が美奈子かもしれませんね。実は私は美奈子でありMamoだと思えるのです。それなら私がミナミの傷さんを受け入れて、一緒になれば良いのですよね。やってみようかな。どうやって?美奈子から切り離されてしまうくらいだから、とても大きな傷なのでしょうか?それとも美奈子はもともと小さな傷にも耐えられるようには出来ていなかったのかもしれません。本当はどうか・・わかりません。そして方法は考え付いたけれど、今はまだ過去のことが何も見えてきません。けれど何時の日かきっと分かりますね。そしてその傷が癒やせたなら、私は本当の意味でこの役割を降ろせるのでしょう。ん?役割を降ろして生きている私も居るわけだから、そのままをやってみれば良いのかもしれません。ん?ではミナミの傷さんのことはどうするの?いろいろと考えると、自分の将来がとても楽しみで何だかワクワクします。21:00


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