| 2003年05月19日(月) |
ミシシッピで交通事故に遭う 最終章 |
今日ようやく相手側の保険会社の担当が捕まえた。事情を 説明するも、「accident report」とで双方の言い分が 違うから支払えない、というのが解答。ま、第3者である 彼からすれば、そのレポートしか判断材料がないのだから そうだわな、と思う。俺が彼の立場だったら、同じことを 言っただろう。
するとここで友人が「奴(当事者)にもう一度直接話す」 と言って電話をかけた。家にかけると奥さんが出たらしく、 メッセージを伝えるとその後、折り返し電話をかけてきた。 友人の焦点は「彼が3つのwritten documentをもらって くるように言ったかどうか?」だった。奴は間違いなく そういい、最初に電話番号と奴の名前を俺に渡した。しか し電話の向こうで奴ははっきりとこういった。「No」あき れて言葉も出なかった。まず彼の保険会社を呼ぼうとしても 彼が嫌がり、その代わりに修理代を出すといったから、そ の示談に乗ったのだ。それをあとで上司に相談して、誰も 見ていないのなら逃れられると判断したのか、全面的に 容疑を否定することにし、警察に虚偽の報告をした。結果 保険会社は判断材料を失い、彼の思い通りになった。
前にも書いたが、彼に情けをみせ、示談にのったのが誤り の最初であった。警察を呼ぶべきだった。もしくは示談に 乗った時点で、彼に一筆かかせてサインをしてもらう べきだった。
奴に常識もプライドもへったくれもない。自分さえよけれ ばそれでいいのだ。他人を構う余裕なんて全くない。アメ リカ人は(ミシシッピ人)はここまで人間として醜い。 しかし悲しいかなこれが彼らのやり方であり、ここで生活 していく以上自分もこの流儀の中でやっていかなければい けないのだ。今回、この点で自分は人が良すぎた。日本 での美徳(と思いたい)はここでは馬鹿のお人よしなのだ。 高い授業料を払うことに納得は出来ないが、それでも今後 の糧としなくてはいけない。
それともう一つ、感じたことがあった。今まで英語は 授業を学び、物事を理解するただの手段と思っていた。 そのため英語、英語会話がどうこうと大騒ぎする人たちを 横目に、そんなのどうでもいいことじゃん、と思っていた。 しかし今回それ以外の動機が見つかった。
「ここで生活する上で自分とその利益を守るため。」
暴言なのは承知の上で書けば、道徳と教養のない連中に 対抗し、世界の田舎もんに美徳と常識を教えるためには、 彼らが理解できるコミュニケーションの手段を自分が 身に付ける必要があること。
こう思わなければやってられない。
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