予言通り、日記読み日記。
書きたければ書けばいい、辞めたければ辞めればいい。 見る自由を認めるならば、見ない自由を認めるならば、同じように自分の自由も認めればいい。 誰に強要されて始めたものでもないんだし。 閲覧者が減ったくらいで迷うなら、それまでのものなんだろし。 自分の発信に意味があるなら、他者の受信にだって意味がある。 それらの意味は、それぞれが、それぞれの都合で決めること。
――って、何度も書いてきてるけど。
腹を割った言葉でなければ用は無い。 上っ面だけをチラリズムで見せるような、そんな言葉に用は無い。 俺がその枷になってるならば、俺が干渉しないことが絶対に最善。 (これだけは譲らないぞ)
まぁ、「まさか俺がマイ切断したから迷ったわけじゃあるまい――そんな理由は絶対にありえない」というド勘違いくらいはしてるけど。 うん――誰にも気兼ねしない、と俺は決めてるからね。 だから、気兼ねされるくらいなら絶縁をすら望むわ。 ただ、それは、嫌いだからじゃない。 大好きだからこそ、気兼ねさせる不自由から解放するため。 当たり前じゃん――自分の自由を認める俺だからこそ、他者の自由を認めるべきだろ。
自由であれ。 ド勘違いに迷ったなら、悩む前に解決しろ。 時間が勿体ないから。 ただ、ド勘違いに踊るのも、悪くないけどね。
最後に。 これでも、あなたがあなたであることに、たくさん感謝してる。 正反対だからこそ、捨てたくない――拒まれない限りは拒まない。 だから、好きにしろ。 あなた「なんか」のことなんざ、俺は知らん。 俺にとっちゃ、その程度のもんなんだ。
> 至言(およそ)50 僕を転がしてくれよ
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