そりゃもう全力で、な。
と・いうわけで、日記読み日記。 分かる人だけ、分かれ。 分からん人は、且つ分かりたいと思う人は、頑張れ。 応援しかできないから、応援だけするわ。
まず一言――「何を今さら」と。 自己愛すらない人間が、他人を愛せるはずがないもん。 だってそうでしょ。 親を愛せない人に、子を愛せるわけがないもの。 それは、親子の愛を知らないわけだから。 虐待の連鎖が起こってしまう原因は、そこにある。 心理学が、証明してる。 「幼少時に虐待を受けた人が、我が子を虐待する傾向にある」というのは、よく聞くでしょ。 このスケールを拡大すると、自分すら愛せない人が、他人を愛せるかっつーの。 だから、自己愛は、自己の全ての始まりにあって当然だ、と俺は思う。
以上を踏まえて、俺は俺を好きになることは大切だと思った。 だってそうじゃん。 俺という人間を、俺が好いてやらなければ、他の誰が好いてくれる――? そういうこと。 人間だもの、誰かを傷付けずに暮らせるわけがない。 でも、人間だもの、付けた傷をいつか癒せるさ。 ただ、それだけのことだよ。
俺が好きな言葉に、「他己」ってのがある。 アイスブレイク( = 自己以外の人間と打ち解ける、心の壁を氷解させるの意)の手法の1つに、「他己紹介」ってのがある。 この言葉から切り分けた言葉。 「他」であっても、「己」なの。 「己」ってコトは、同一なの。 違う「個」でありながら、でも「己」なの。 我も彼も、「己」なの。 ‥‥あんまりこれに囚われすぎると、俺みたいになって、それは失敗ってコトだから、ちょっと片隅に留めておくだけってくらいがちょうどイイ感じ。
自分の視点は、決して1つじゃない。 少なくとも、1瞬前の自分と、現在の自分と、その視点は決して同じじゃない。
「思考が思考を生み、永遠に答えが得られぬような時でも、 あなたは考え、何かを想い、何かを得て、新しいあなたになっている。 あなたは考えることで、何かを感じることで、常に新しいあなたに生まれ変わっている。」
この日記の、トップに必ず表示させている言葉。 常に新しい自分に生まれ変わっているのさ――。 1瞬という短い区切りでなくてもイイ――。 1シーズンでも、1年でも、10年でも構わない――。 当時にはなかった視点が、考えが、現在の自分には必ずあるもの。 そして、それは絶対に、一瞬間と一瞬間の積み重ねによって、自分に積み重ねられてきたもの。 常に、生まれ変わってきた――生まれ変わり続けている。 だってそうでしょ。 一瞬前にこの日記を読んでいなかったあなたと、現在この日記を読んだあなたと―― 新しい感情、考え、視点――そういったものは必ず芽生えているのだから。
あとは、それを容認できるかどうか。 生まれ変わった自分を認識できるかどうか。 そして、世界は薔薇色――自由である場所。 容認するかどうかも、認識するかどうかも、その人の自由であるだけ。 誰も強要しない、強く語りかけられることはあっても、 それに「従う」ってコトはありえない。 ただ、自分自身で目覚めて、自分がありたいと思う姿に移り変わるだけ。
世界は無限。 その視点に立てるかどうか――でしょ。 俺の視点、あなたの視点、別の誰かの視点―― その視点1つ1つに、1つ1つの世界があるんだもの。 でも、その多層に変わらず存在するものこそが、真なる世界。
共通した視点であることもある。 でも、決して同一じゃない。 視点と世界は同一。 でも、人の数だけ視点があって、それと同数の世界が多層的に絡まり合う。 ここは、そういう「世界」。 だから――だから‥‥!!
いつか、ここまでおいで。
> 至言(およそ)50 できないんじゃない、やってないだけだ。 やってないのは、やろうとしていないだけだ。
> 至言(およそ)50 神ですら、全人類を救うには、多様性が足りない。
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