キーワードは《再開》のチャボです、どうも。 みなさん、こんばんは。
ノリにノって、ノリすぎて、夜が明ける前から更新!! 気が早すぎるだろう‥‥orz ぶっちゃけ、自己嫌悪よりも他人からの《求め》が勝りました。 あぁ、俺ってばそういう風にしか生きられないのか‥‥と、つくづく思ったり。
> ネタに困ったときはもらったメールで グリーティング・メールってあるじゃん。 ほら、Yahooとかから送れるヤツ。 くれるという行為に対しては嬉しく思うけれど、 もらってもどうしようもないものってあるもんじゃんね? 俺にとっては、このグリーティング・メールってサービスを通されるのがヤ。 例えば絵が下手だとか、コメントが最大公約数的だとか、そんな理由じゃなくて。 どうせくれるなら、そいつらしさが最大に表われる物をくれと思う。 ほら、贅沢だからv
メールという形でもらうならば。 どんなイラストのあるカードにしようかなんて考えてもらうよりは、 無機的なメール画面に拙いながらも打ち込まれた文章の方がずっとマシだ。 ンなイラストを選ぶヒマがあるなら、それを使ったMSペイントで描いてくれ。 できなければ、活字だけでも構わない。 くれるという行為自体は嬉しく思うが、 そのものについては評価させてもらうぞ。 残念ながら、俺はそういう心の狭い人間だし。
♪高価なニットをあげるより 下手でも手で編んだ方が美しい
昔、そんな歌があったわね。 物と、人と、行為と―― それぞれに対する評価はもちろん違うし、それぞれを直結させる気も俺にはない。 《ンな役立たずなもんをくれるヤツなんか、どーでもイイわ》とか、 そういう思考回路は持っていない。 でも、もらった《物》に対する想いは、やっぱり変わってくるものだ。 それが惚れた女であっても、誕生日のグリーティング・メール・サービスなんかより、 先日にもらった、小学1年生の手編みのミサンガの方がずっと愛おしく思える。 《物》に対する俺の想いを比べてみると、やっぱりそうなる。
ただそれだけのことを書きたくて、再開してしまった日記でしたv
> ‥‥ってだけではつまらなかろと思い―― やっぱりね、オニャニョコを抱きしめるなら、その肩の上から抱きしめてあげたいと思うのよ。 だってその方が、《俺が包み込んでる》っていう感じが、より強まるもん。 そりゃ甘えたいときもあるけどさ。 でも、安心感というものは、もらうよりも、与えてやりたいと思うんだ。
だって、オトコノコだからな!!
じゃ、夕方のバイトまで寝るー。
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