2004年08月22日(日) |
自殺に見える人の強さ |
お盆の時期に帰省するような暇など無かったみなさん、 こんにちは。
たぶんヒマがあっても気が向かなければ帰省しないだろうチャボです、どうも。 実家住まいだから気にしたことは無かったんですが。
> 自殺の強さ イイ機会だ、書いておこう。 自殺は、強い。 強くはあるが、後ろ向きだと思うから俺はこれを嫌う。 いろんな理由で自身を殺していく人間という種だけど、それはそいつの実力不足の表れだと思う。 実力不足――それはつまり弱いということなんだが。
では、ナニが強いか。 捨てる強さだ。 断ち切る強さだ。 俺には無い強さ――だから、少なからず憧れもある。 死人――特に自殺経験者に価値は無いと言い捨てる俺だけど、 それはきっと嫉妬の表れなのかもしれない。
ただここで俺が息をしているだけで、酸素を消費して二酸化炭素を排出する。 量は大したコト無くても、温室効果ガスを吐いてるってことは、世界と関っていると言える。 俺がここで日記を書いているだけで、数は少なくても読者が居て何かを考えている。 読者数自体も少ないけど、その中でもこの日記が好きで読んでる人はもっと少ないけど、 そういった人たちに良くも悪くも影響を与えている。 この日記に表れる俺の人格に何らかの印象を抱かれるのも、影響の1つだろう。
俺がやってることなんて、たかが知れてる。 それでも俺を好いてくれるヤツは居るが、嫌うヤツもたくさん居る。 嫌うヤツの方が多いだろうけどv でも、好きも嫌いも俺に関心があって起こるもんだ。 好かれようと嫌われようと、その関心に対して常に俺は礼を言おう。 礼を言うだけでは気がすまない、同じことをしてやろうと思う。 好かれてるから好きになろうとか、嫌われてるから嫌われようとか、そンな細かいことじゃない。 もっと根源的にいこう――関心を持たれているなら、俺も関心を持つよ。 そこから先は、どうなるか知らないけれどね‥‥。 ともかく、それは俺が生きて初めてできることだ。
人と人との間に生きるから《人間》という字を当てて書くんだ――
そう教えてくれたのは誰だった‥‥? イイ言葉だと思う。 でも、俺はもっと広く言おう――あらゆる関りの間に生きてるんだ―― 人と人との間だけで生きてるわけじゃない、と。 そして、俺と何かの間に生きる人が居ることを常に忘れない。 俺が居なくなったら、その人の居場所の1つを奪うことになるんじゃないかな。 ‥‥そンな物好きが居るとは思えないけれど、俺に見えてないだけだとも思う。
自殺をするってのは、そういった《関り》ってもん全部を切り離す行為だろ。 好かれても嫌われても感謝されても傷つけられても頼られても裏切られても、 その積み重ねで生じてきたもん一切を捨て去って自己を守る。 そういうもんだろ。 それって、すごく強いことだと思う。 俺は、断ち切れないからな。 好かれ、嫌われ、愛され、憎まれ、羨まれ、蔑まれ、信じられ、疑われ、 そのどれもは俺から発信してるもんだからな、回収しなきゃ駄目だと思う。
好かれたなら、お礼に何かをしてあげたい。 嫌われたなら、悪く思わせたことを謝りたい。 羨まれたなら、同じ高みに立たせてあげたい。 蔑まれたなら、同じ高みまで登ってみたい。
このどれもが単なる欲求で、しかも俺は捨てられない。 この欲に醜くしがみつく俺だから、捨てることを強さだと思う。 叶えられるかどうかすら分からない。 そこで諦めてしまうから自殺するんだろうし、だからこそ自殺は後ろ向きだと思う。
守るために戦い、失わぬために奪う―― 俺の信念の1つだけれど、自殺はその達成方法の1つかもしれない。 誰にも傷つけられないように自分を殺し、 自分の意味を失わないために他人の思考の居場所を奪う。 誰かを傷つけるような言動をしないために自分を殺し、 誰もの居場所を侵さないために自分の命を自分で奪う。
‥‥駄目だな。 やっぱり俺は自殺を看過できそうに無いよ、minakoさん。
自分を守りつつも他を守る。 人を殺させずに自分も守る。 俺が追求する、ただ1つの強さ――。 持てる武器は、この《言葉》だけだけどね。
> どちらの味方もできないのは子どもだから 両親、父方の祖父母の家で離縁談義中。 ‥‥ちょっと待て、子の意見は取り入れない気か? まぁ、親の心を知らない子ならば、それも当たり前か。
そんなにヤな相手なら、とっとと縁切りしちまえ。 心友相手ならそう言えるんだが。 親ともなれば、そうそう言えるものではないのは何でだろう。
‥‥昨日の安定剤一気飲みは、やはり自殺未遂だったんだろうな。 本人の口から聞かない限りは、俺の中で消化できないけれど。
血は水よりも濃し―― 何が濃いと言うんだろう。 ‥‥‥‥‥‥‥‥塩か?(そりゃ確かに塩分あるけど
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