休みだったのになぜか休んだ気がしないみなさん、 こんばんは。
出不精のチャボです、どうも。 出たくないときは一切出ないので、煙草も吸わない日が最近は多いです。
はぁ‥‥いつのまにか3月か‥‥。 今週はナニをしてたっけな‥‥。 バイト行って、ゲーやって、飲みに行くついでにまた同人誌を買ったくらいか。 あとは‥‥《Monster》と《修羅の刻》のアニメ化を喜んだだけか。 《修羅の刻》のアニメ化されるストーリーは分かったけど、《Monster》の方はどうなるんだろうな‥‥。 やたらめったら長い上に、登場する人物が多いぞ‥‥本筋に絡むキャラ自体も結構数いるし。 まぁ、見てみるしかないって言うか見たいんだけどね。 《修羅の刻》は‥‥宮本武蔵編と寛永御前試合編と風雲幕末編か。 武蔵の顔が原作ほど厳しくないのはアニメだからか‥‥。 って言うか、この選別はNHKの大河ドラマに合わせてるんですかね。 武蔵編と幕末編なんか、特にそう思える。
> 1つだけ ナニをしたって、一回だけ。 それはもう例えば、ままにょにょデータ初期化して全く同じデータをもう一度作れるかとか、 もう一度受験してみて同じ点数で合格を取れるかとか、 昨日話した内容を同じ相手と一言一句違えずに話せるかとか、 同じ量の酒を飲んで2年前と同じ程度の酔いに達するかあるいは潰れてるかとか、 うっかりEscキーを押して書き途中だったWeb日記や書キコをまた同じ文面で書き直せるかとか、 今読んでる本を将来に読み返したときに全く同じ事を考えるかとか、そういうこと。 常にナニかが変わってる。いつもナニかが変わってる。 自分自身だって、変わってる――変わりつつある。 俺だってまだ成長期だし(年間2mmくらいずつまだ伸びてる――誤差じゃなくて)。 ほら、変わってる。 今これを読んでるあなただって、変わってる。 この日記を読んだあなたとその前のあなたで、この日記を読んだかどうかと言う点ですでに変わってる。 そんなもんなんだ。 まぁナニを言いたいかと言うと、 思い出す度につらくなるような記憶でもその記憶にある楽しさや嬉しさといった感情は2度と戻らない。 誕生日だからとか記念日だからとかで遊びに行った記憶も大事だろうが、 自分にとって初めての体験だったとかで印象深い記憶もたくさんあるだろうが、 他愛ない日常もそれに等しくたった1回しか訪れない。 ならば、1つしかないそれならば、大事に持っているべきじゃないのか。守るべきじゃないのか。 失うべきではないんじゃないか。忘れるべきじゃないんじゃないか。
と、いつも読むサトミさんの《Crybaby》を読みながら、思った。 シェイクスピア作品にある《昨日までの甘き眠りは、2度とおまえたちのものとはなりえないだろう》という言葉を思い出した。
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