| 2004年08月15日(日) |
あれから1年・・・・。 |
今日の日記を書く時につい「2003年」と 押してしまい、一年前の日記が出てきてしまった。
今日私「下宿を出て行け」って勧告された日でした。
あれから1年。 あの時は本当に悲しかったな。 いや、悲しいの通り越してどうしていいかわからなかった。
まずとっさに張さんに電話をしてなだめてもらい 知り合い、友達という友達に電話をし、事の状況を話したっけ。 とにかく死にたくない。もう生きる事で必死だった。
私が泣くと怒るジェチョルでさえもすぐに駆けつけてくれた。 ウンジョンはBFのデートをキャンセルしようとしてまでくれた。 ベン君は、取る物を取らずに私の所に来てくれた。 へーちゃんはあじゅんまと私の間を取り持ってくれた。
HPで日記を書くどころではなかったけど とにかく起こった全ての事をかかずにはいられなかった。
BBSで、こんなに人に励まされた事もなかったし これだけ周りに恵まれたと実感した事はなかった。
「とにかく早く下宿を出てください!私の家に早く来て!」 会社の友達、Jinujinuちゃんは友達と共に 大雨の中を何往復もして引越しのダンボールを運んでくれた。
その時偶然に出会ったあじゅんまの 私を見送る冷たい視線は今でも忘れられない。 そうだよね、あなたの大事な息子を好きになっちゃったんだから。 そう、私は彼女にとってもう「ドロボウ猫」でしかない。
大粒の雨の中、夜逃げ同然の引越しを終わらせ jinujinuちゃん家で飲んだビールの味は忘れてない。
それから2週間、Jinujinuちゃんの家にお世話になりながら 知り合いのオンニやオッパの事務所に通った。 この先の不安に涙が止まらなかった。 「出て行け」と言われた時、本当に自殺まで考えていたから。
保証人さんの紹介でいいコシウォンに腰を落ち着ける事は 出来たけど、精神的にはピークだった。
外に出られない、人と話せない、電話が取れない・・・。 とにかく毎日悲しくて辛くて涙が止まらなかった。
仕事も上手くいっていなかった。 一年以上連載されている漫画が掲載される様子もなかったのだ。 だた毎月40枚ひたすら描くだけ。 しかもこの枚数でギャラはたった80万ウォン(8万円)
もう何もかも信じられず、知り合い泣いて当たった事があった。 言ってる事も支離滅裂だった。自分でも自分がおかしくなってる事も自覚していた。
「木村さん、明日すぐに精神科に行きましょう」
その一言で私の中で「日本に帰国」という言葉が大きくなった。 こんな状態で韓国で生活するなんてもう無理だ、と。
本当はこんな帰り方したくなかったけど・・・・。
決断してからは、残りの韓国の生活が楽しくてしょうがなかった。 帰る事を決めたんなら、楽しく過ごそう、と。
とにかく一番お世話と力になってくれたのはjinujinuちゃん。 彼女がいなかったら本当に私は途方に暮れていただろう。
張さんにも沢山迷惑をかけてしまった、殿方に振られた時も下宿を追い出された時も大泣きする私。夜中にもかかわらず愚痴を聞いてもらった。
あじゅんまと私の間に挟まれて大変だった、へーちゃん。 本当に本当にみんなごめんなさい。そして改めてありがとう・・。
今、その当時を思い起こすと本当に激動の数ヶ月間でした。 こんな体験めったに出来ないでしょう。 というか、する人いないでしょう。
「絶対帰ってくるから」と約束して、もう1年経ってしまいます。 ウツって入院してリハビリして、やっと今日があります。 奇跡的に信じられない程、ウツ病の症状が出なくなりました。 本当に帰ってきてよかったと、感じるのは病気が治った事かな。
試しに私の漫画が連載されるはずの韓国サイトを覗いてみました。 二年前から描いている漫画が2作品しか掲載されてませんでした。
「飼い殺し」張さんがBBSで言ってくれたのはまさにその通り。 このままソウルにいたら、私、飼い殺しにされてました。
仕事が順調にいけば3ヶ月くらいごとに取材に行けそうだし 「種まき」も含め、仕事もソウルにいた時に比べたら順調です。 日本にはソウルにない可能性があるし、何よりも手ごたえが確実。
韓国も韓国で好き。 でも、長期で行ったり来たりする事がこれからは夢。 大好きな人の側で、大好きな仕事が出来るのが一番かな。
今は、下宿の事は全く気にならなくなりました。 あじゅんまとの思い出もいい思い出しか思い出せません。 殿方を好きになった事、好きって言った事も後悔してません。
「止まない雨はないですよ」とNHKラジオアナウンサーの方が 言ってくださいました。
まさにその通りですね。 この事件がきっかけとなって私は成長しました。
もう雨は止んでいる。私は明日に向かって歩き始めてるんです。
本当にみんな、ご迷惑をかけました。そしてありがとう。 私はもう本当に元気になりました。
|