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欲しいモノを言ってご覧 - 2004年06月14日(月)
コンニチハ、お久しぶりですアキヅキです。
色々とネタばっかりあるハズなんですが、ソレを日記に残す時間がないというのが実情みたいよ。今日は突然、それほど仲良かったわけでもなかった二人に相談を受けました。何でアタシに相談しようと思ったのかしら(わからない)。
■東京遠征、報告します!
木村先生はとても良い演出家の先生だと思うし、キムシンの作品をやった組は歌や団結力に多少なりとも影響を得られると思います。なので、アキヅキさんはキムシンのコトは割と好きです。が、唯一にして最大の評価ダウンのポイントは、あの説教くささです。アタシには兼ねてから、メッセージ性のある作品を否定しようとは思わないけど、説教しようとしてくるものは一切受け付けない、という傾向があります。 演劇においてのメッセージ性は、話の主軸になるものだからなければならないものです。そして、そのメッセージを伝えるためにそれぞれの展開や場面が存在しているワケですな。つまり、芝居の展開は、「こういう状況だから、こういうことになるんだよ」っていう実例として、暗にその意図を伝えるものであると思います。 童話や昔話と同じですな。カメとうさぎなら、「カメはゆっくり進み、ウサギは足が早いけど途中で油断し、勝者はカメになった」っていうあらすじで、メッセージは「油断しちゃダメ」とか「一見、圧倒的に不利でも勝つこともある」とか、そういうコト……、ですな(間違ってたらどうしよう)。つまり、結論をイキナリ言うのでは説得力がないから、実例を上げて丹念に伝えていると言えるハズ。 芝居で、特にキムシンのように自ら「コレは問題作です」とか言うくらいメッセージ性に重きを置くのならば、余計に説教臭さには気を配って欲しいと思うわけです。メッセージを込めるのなら直接言うのではなく、展開や状況で自然と観客が受け止められるように仕込む、とでも言うか。そういう意味ではスサノオも、展開や状況だけで言いたいことはほとんど理解出来ると思います。それを、芝居の終盤にわざわざ念押しでハッキリ台詞にされてしまうと、少なくともアタシは引いてしまいます。「いや、もうわかってるから」って。 アキヅキさんがひねくれてるだけなのかなあ。
エンターテイメントは娯楽、そこにメッセージがあっても良いと思うのですが、説教臭さは必要ない。まあ、アキヅキさんの好みはそうなんだよって言いたかっただけです。ええ、好みの問題ですが。
で、説教臭さと、違和感滲む台詞回し以外、具体的なキャストとかビジュアルに関しては文句なく素敵ィ☆
アオセトナの登場では、まんまと胸が震えました。ハーレムがよく似合う……。ヤマタノオロチの化け物というよりは、第一印象は割と色魔かと思うくらいにだだ漏れ。あの目つきであの手つき、触られただけで妊娠するんじゃないのか?(うわあ)何か滴ってたと思う……(紅潮)。 あの場に居た男女は全て御手つきってコトで良いですよね!(良くねえ!)
あと、最近はちょっと首を傾げてたんですが、ココに来て壮君の月読がめいっぱいヒットです。アタシの見たい壮君に一歩来た!近付いて来た!(落ち着いて!) 芝居におけるオペラ率は7割が月読、残りでスサノオとアオセトナ。偏りすぎっていうか、本命どうしたんだってハナシ(いや、月読居ないときはスサノオです)(不誠実)。それにしてもビジュアルが、黙ってるだけでエロ。メイクかなあ。立ち位置的にスゴイ良いトコに居るよねえ。傍観者であり、仕掛けた側であり、それを苦悩する立場であり。徹底的に無表情だったのが寧ろアキヅキさん的にはクリティカルです。淡々とスサノオを追い詰めてる、というか群集を操ってるように見えたんですがソレは考えすぎなのかなあ。 劇団は壮コムで売りだしたいんじゃないかという疑惑が濃くなって仕方ない(前作からの流れ)。
でも、今回はアマテラスとスサノオがイチバンだと思います(え!)スサノオがイチバン執着したのはアマテラスで、アマテラスがイチバン大事にしてるのはスサノオ。割と他者が入る隙間がない、イナダヒメよりこっちのラインのが濃いように見えました。たまんない!(そうかよ!) ガイチさんのアマテラスは、とても色っぽいような気がしたんですが。何やら、言葉で形容しがたいなあ。聖性と色香の同居、もしくは聖性に混ざった姉弟愛ユエなのかなあ。たまに、二人の繋がりが姉弟愛どころじゃなく見えたのは、色眼鏡なんですかしら?(首傾げ)
スサノオは赤い衣装が好きです(イキナリだ)。
とりあえず撤収(ココでか!)
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