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こうも下らない足跡の過敏聴覚、宛ては足音 - 2003年05月21日(水)
こんばんわ、かなりいい感じに軽い鬱と素敵なノーマル(躁ではない)状態を繰り返しているアキヅキです。あ、でも大学は辞めません!
……すげえ久々に「サイト閉じたい」という虫が騒いでいます。 カウンセリングの話題の中で唯一、少しの答えをも出さなかった問題だったんですが、当時は大分癒えていたし、最近もなかったので考えてませんでした。 いやァ、久々!何だっつーの!(乾)
■ということで、今日はまずメンタルテイストで。
サイト閉鎖衝動。 既に3回くらいやってるなあ(…)。
多分、というか、ほぼ確実に何かの発散か抑制の一種なんだろう思います。 改装や休止とか、そういうのとは違う意味です、アタシにとって閉鎖は。 限りなく近いといえば、「自分の表に出してきたもの全てへの否定或いは嫌悪感」、簡潔に言って自己否定。 普段のアタシは自己否定の舵取りが、限りなくギリギリでもバランスとっているんですが、ある時期になると全然言うことをきかなくなります。基本的に自分を過小評価(いっそ自虐傾向)している自覚があるんですが、上に引き上げようと言う第三者的意識も常にあります、複雑ー。
それが、ふっと消える。あるいは侵蝕のようにゆっくりと失せていく。
とにかくアンバランスになって、逃げ出したいと思って、でもそれもできないような瞬間に思うのが、「消えたい」という感覚かなあ。 実際に消える事はないし、死にたい衝動ともベツモノ。或いは、逃げ出したところで実際には逃げ切れなかったり、逃げてもそのこと自体が圧迫感(罪悪感だとか責任感であるとか、不安感)を引き起こす。
多分、「消えたい」っていうのは、死ぬより実現が難しいコトなんだと思います。 消えたい、っていう衝動の裏には「アタシのコトなんて忘れてよ」っていう意味が少なからず入っているし、それは肉体的物理的な問題じゃなくて、もっと精神的なものなんじゃないかと。それに、死んだって存在を忘れずにいる人はいるだろうし。……居てしまう、でも良いし、居てくれる、どっちでも良いですが。
自分のことだけを見て、自分が自分を「消去」することで満足できるなら、自殺ってことになるんじゃないかと思います。自己満足のための「消えたい」衝動だったら、自殺。 反対に、周囲のコトも目に入ってくるときは、ある意味で「自殺では不満足」ってコトもあるかと。死んだらアタシは消える、でも周囲がまだアタシを「生かしている」。
……酷いなあ(アキヅキさんが)(何だかえらいキツいこと言ってる)。
論点が大幅にズレた上に迷走しだしましたな。
殊、アキヅキさんは高校時代に芸術寄りの分野に自己表現を見出したわけです。 その後、サイトにも部分的とはいえ、自己表現の意味を見出しました。 書く、描く、画く、そこに自己表現を見出した人間は、全面的ではなくても、自分で産んだ作品に対して少なからず自分を込めると思います。 極論で言ってしまえば、「作品=自分」。そういう等式。 発展すると、サイト=作品=自分の一部、ほんの僅かでも。
ということで、結論は言いません、言わずもがな★(逃げた!)
アナロジーというには少々極論になってるんですが、まあ見当ハズレでもないので訂正はしません。
凄いなあ、こうやってまた、読み返した時にザックリ痛い日記ログができるわけです(カラ笑いしつつ)(青褪めつつ)。
最後にヅカネタにしようと思ったら、あんまりな内容だったので消しました(乾)。
寝ます。 明日は1限から。
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