風の行方...深真珠

 

 

今夜も好き勝手に書かせていただきました。 - 2004年08月26日(木)

しばらく本を読むのを絶っていたんだけど、どうしても読みたくなって、
夏休みの間に読んでしまえばいいやということで、
ドストエフスキーの「罪と罰」を読み始めました。
なんで洋書ってのは読みにくいんだろう。
少し読んだだけでドッと疲れる。

明日は、ひさびさの休みなので、今夜はマジ飲みしています。
夏休みに入って、すでに2回ほど軽く飲んでいるから、別にどうってことはないけど、
今夜は倒れるまで飲みますよ〜!!
でも、ひさびさのお酒って本当に美味しいですよねぇ。
体に染み込んでいくような気がします。
発泡酒は、やっぱり発泡酒でしかないし、ビールはやっぱりビールでしかない。
2学期以降はきっと1滴も飲まないだろうから、まぁ、夏休みに一回だけベロベロに酔っても許してやってください。
明日も休みだけども、やることはたくさんあるので、酔ってる場合じゃないんだけど。
(日ごろ、昼間動けないからこそ、やらなければならないことが多い)
ここ数週間、5時半起き20時帰宅って生活が続いてたからねぇ。

ちょっとだけ愚痴ってみました。

僕が未だにこだわっている「罪と罰」(←本の内容という意味ではなくて)のようなことは、
きっと他の人から見れば、まったくつまらないとても些細なことをわざわざひっぱりだしてきているように思うかもしれないし。
その罪が許されることはありえなくて、罰を受けるか受けないかは本人の気持ちの持ちようだということを知りながらも、
それらを抱き続けている僕を、蔑み、哀れに思うかもしれない。
しかも、それらは他人から何かをされた傷痕ではなくて、自分が犯してしまったことに関することであるから、なおさらだ。
(僕の推測に過ぎないけど)大抵の人は、自分が他人に対してひどい仕打ちをしたことなんて大して覚えていないもので、
こんな風に裏切られた。とか、こんなひどいことをされたとか、そういうことはまったく色褪せることなく覚えているもんだと思う。
それがごくごく自然な人間の感情の流れだと思うし、それで何の問題もないと思う。
自分が他人に対して、やってきた仕打ちなんて考えなくても生きていけるのだ。
むしろ、他人から辱められたことを糧に生きていく人の方が圧倒的に多いはずだ。
いわゆるハングリー精神ですか?

いろいろな思考過程の中で、やっぱりこの世の中に「不公平」というものは存在する。
精子が卵子と出会い、受精卵が出来た瞬間からある種の「不公平」感は生まれてくると思う。
なぜなら、その瞬間に誰の元に生まれ、おおよそどのような生活が待っているか分かりきっているから。
僕の場合(あくまで一つの例として)受精した瞬間はよく知らないけど、
生まれてくるときにはすでに父親がいない状況だった、
その時点で、他の多くの赤ん坊とは異なっているわけ。
片親の分、母親が父親の分まで愛してくれたのかと言えば、実のところはそうではないと思う。
もし、母親が24年間で僕の与えてくれた愛情を「153847」という値に置き換えられたとした時、
もし、父親がいれば、「13496」くらいまで数値を落として、父親の分を合わせて考えていたのかといえば、そうではないと思う。
父親がいてもいなくても同じように「153847」の分、愛してくれていたと思う。
(愛情表現の仕方とか頻度とか僕の受け取り方は別として)
そう考えれば、僕は父親の愛情の分が絶対的に不足しているし、(それは「98251」と表すことができるかもしれない)
もう母親さえいないわけだから、もう誰一人として僕に愛情を注いでくれる人なんていないのだ。

僕が失ってしまったものの中で、かなり重要だったことは「帰る場所がない」というこじゃないかと思う。
もう誰も僕の帰りが遅くなることを心配してはくれないし、
僕が帰る家はいつも電気が消えているせいで、家に入るのも全然楽しくなんてない。
気を使わなくて済むかもしれないが、真の安心感や安らぎのようなものはもう手に入れられないのかもしれない。
それは、1人暮らしをしていて、実家があって、実家に戻れば子供の帰りを首を長くしてまっている両親がいるといったようなことはまったく違う。
そういう背景すらも持ち得ない。
いざというときの、駆け込み寺すら持たない。
逆に、そういうもの(僕にないもの)を持つ人の苦しみを、僕は少しも変わってあげることはできないわけだ。
もう僕には実家というものは存在しない。
強いて言うなら、僕の中に実家は存在して、僕自身が実家になってしまっている。
つまりは(しつこくなるけども)「帰る場所をもたない」ということになる。
それはかなり大きいと思う。
持っているか持っていないかの状況で、自分がどっちを選ぶかは本人の自由なんだけど、
僕には選択する余地すらない。
僕は運命に(これを神と呼ぶ人もいるかもしれない)そういう風になるように仕組まれているに違いない。
選択の余地無く選ばなくてはならないというのは想像以上に堪えるもんだ。
ただ、これは何もマイナス面ばかりではない。
つまり、僕が望めば、そこがどんな場所でも実家になりえるわけだ。
シチリア島に実家を構えたいと思えば、簡単に実行できるし、
銀座のど真ん中でもかまわない訳だし、
エベレストの山頂でも、南極の昭和基地のお隣さんでも、一向に構わないわけだ。
これはきっと僕が現在持ちうるものすごい可能性の一部なんだと思う。
僕が今、現実的に持っているものとしたら、目の前にある残り半分しかない飲みかけの缶ビールと、
ラストチャンスのあと半年の期間なくらいなものか。
それだけあれば、十分だ。
あと5分後にビールの残りが4分の1になっていたってかまいはしない。
どうせ減り続けていくものだし、そうなっていく運命なのだ。
そして、この僕でさえも運命というのもにもてあそばれながら、こうやって好き勝手なことを日記に書き続けながら生きていくしかないわけなんだなぁ


BGM:アイネ・クライネ・ナハト・ミュージック/L-R


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