負けないように、強く。歩き続けられる強さを。
どこへ だれと みらいへ きみと

 

 

 
oOO きっとね
2005年12月07日(水)

きっと、幸せの楽しみ方を知らないんだ。
やっと分かった。

五体満足で、
家族みんな健康で問題もなくて、
大学入試まで成績にも恵まれて(多少苦手はあったけど)、
信頼できる友人達がいて、
愛してくれる人がいて、
間違いなく幸せといえる環境だろう。

こんな完璧な状況で、いったい何を望めばいいのだろう?


無い。望みは無い。

だからだ。だから、満足できない。




居候生活をしてみて、家の有りがたさが分かったように
気の合わない友人を知って、気の合う友人のあり難さが分かるように、
下を知っていれば今の状況が「上」であることを実感できる。

でも、きっとそれを知らないから。
だから、今の状況に素直に感謝して生きていけない。


大変に恵まれたことだろう。
心の底からそう思う。

だけど、人間として、何故上を望まずに生きていけるだろう?



現状に不満がないから、
自分や自分の過去にさかのぼってまで不満を見つけ出す。
なければ反抗的な思考や不登校みたいなことに自分から陥って
「ダメな自分・ダメな状況」を作り出してるんだ。

ぬるま湯すぎて、ちょっと自分が冷たくなってみたり
うろうろと不必要に動いて自分のカタチを確かめたくなるんだ。

なのに、こんなにも学校に行かず親にもひどい事を言ったのに、
休学という形が親にも許されて
卒業資格がなくても会社に許されて
結局私が甘え倒して生きていける。

それが、許せない。

生まれ付いての自虐性と言い換えることも出来るだろうが。




でも、自分が怠けても生きていけるこの状況が嫌なんだ。
NEETだって理由もなくキレてる子の一部もそうじゃないだろうか?
甘えたら甘やかしてくれる人がいるから、逆にそれが苛々する。

自分は何かに頑張りたいんだ。
簡単には叶わない望みを持って、それに向かって生きたいんだ。
片想いのときが一番輝いているとはよく言ったものである。

理由なんてない。
だけどそれが、明確な定義とも言える、私の根本原理だ。



   
現在 今まで
 

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