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古い知人のお見舞いに行った。
先週、突然電話があり 「急のことで、驚かないでよ」と前置きされて 肺がんが発見され、一ヶ月近く入院していることを知らされた。 「副作用もほとんどなく、元気だから心配しないで」 とも言われたが、驚きもしたし、心配もした。
今日、会ってみたら 見かけは本当に元気そうだった。 長く話し込んで、笑ったりしみじみしたり お茶やお菓子も頂いて、なんというか、楽しいひとときを過ごしたが やはり言葉の端々に、拭いきれない不安を感じているのが表れていた。 当然だろう。
その人は、結婚前の私の恋愛にまつわる重い出来事も 新たな恋に、生きるの死ぬのと大騒ぎをした事件も ある時期の私の私生活については、熟知している人だ。 結婚後に愚痴をこぼしに行った時には 「あんなに惚れ狂った男と結婚して、今さら何が不満なのよ」 と言われたこともある。 惚れ狂ったオトコ・・・だったんですね。>元夫
窓の外の六本木ヒルズや広尾のガーデンヒルズを眺めながら あのあたりに住んでいた頃の、若かった私の思い出話も出尽くして 「あなた、頑張っているわよ。よくやってきたじゃない。」と慰められ お見舞いに行ったんだか、なんなんだか。 夕食時間になって、ようやく話に区切りがつき帰ることにした。 そして、車に乗って帰途についてから お見舞い(お金)を持って行かなかったことに思い当る。
電話をもらって以来 とにかく行かなくちゃ(行くことに意味がある) 何を持って行こう(喜ばれるもの、役立つものがいい) と、そればかり考えていた。
何故だろう。 お金のことなど、まったく頭に浮かばなかった。 でも、お見舞い金を持って行かないお見舞いなんて 元夫の入院の時も、私の父の入院の時も、見たことはない。 やはり変か?
少し迷った末 デパートの文具売り場に寄り、お見舞い袋を買って病院にUターン。 さも置き忘れたフリして、お見舞い金を渡して再び帰る。
気は心と言うけれど、実際、入院中にお金の心配もあることは事実である。 形式上の問題ではなく、少しでも役に立てばと思っての判断だった。 とか言うと、なんだか颯爽としているが、ほんとに間抜けな話である。
それにしても。 どうしてそのことに、思いが及ばなかったのか。 私には、こういう、ある種の先走りがよくある。 自分にできることはなんだろう、何をしようかと思うあまり 基本的なことを忘れてしまうらしい。
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