岩波少年文庫からランサム・サーガの4巻目「オオバン・クラブ物語」が出ました。イングランド東部の水郷地帯ノーフォークを舞台にした復活祭休暇の子供たちの物語ですが、これってずっと帆走している話だったんですね。小学生時代に読んだときには、暴走モーターボート族から逃げる少年の物語だと思っていたのですが、実はティーズル号のトム船長の帆走物語だったんだ!…って今読むとしみじみ。英国の海洋小説を山ほど読んできて、ほんの少しながら帆走経験(と言ってもまだ両手の指で数えられる日数)をした後で読むと、物語自体が、小学生のときに読んだのとは全く違って見える。自分でもびっくりでした。これは1〜3巻ではなかったこと。この調子でいくと、きっと次の次に刊行される「海に出るつもりじゃなかった」も全く違った読み方になるのかも。こちらも最初から最後まで航海の話ですから。今回の少年文庫版発行にあたって、翻訳された神宮輝夫先生は現代にふさわしく用語なども一部改められたそうですが、その一環として操舵命令も、私たちが海洋小説で読みなれているのと同じように、ルビが英語のカタカナでふられるようになりました。船のサイズがかなり違う(こちらは小型船舶)のですが、ここは同じ、ここは違うとか比べながら読んでいくのも面白い。あれ?かなり意訳?と思うものもありますが、大型帆船とヨットでは意味も変ってくるのか?船の漕ぎ方の命令にハーフ・アヘッド(半速前進)とフル・アヘッド(全速前進)があるとは思いませんでした。これ本気?それとも半分本気で半分ごっこ遊び?カッター競技でもこんな命令が出たりするんでしょうか?でもスターボードがミセス・バラブルを初めて「提督」と呼び、いきなり出てきた提督という言葉にドロシアが不思議に思って尋ねると、「ほらみてよ!彼女の艦隊」たしかに艦隊がいた…というくだりは、私も一緒に嬉しくなってしまいました。艦隊と言っても小型のヨットと手こぎボートが2隻の計4隻なんですけどね、でもそう言いたい気持ちはわかるし、それで嬉しくなってしまう気持ちもわかる…のは、海洋小説で実際の艦隊をいろいろ知ったからこそかもしれませんね。そして今回一番笑ったのは、船主である「提督」ことミセス・バラブルが一度も自分の船の舵を握らないのはよくないのでは?と船長をつとめるトムが言い出したときに、彼女が「そんなこと、まったくかまいません。提督というのはぶらぶらしていて邪魔はしない存在なのです。弟はそういうのが立派な提督だといいます」と答えるところでしょうか?うふふ。それはまったく正しいと私も思います。もっとも海洋小説にはぶらぶらしてない提督がごろごろいますが。立派じゃない人たちばかりですねぇ。ミセス・バラブルの弟さんは戦争中(第一次大戦)に海軍にいたことがあるそうですが、ミセス・バラブルご自身は女学校の先生を勤め上げた老婦人です。こういうところが、英国社会に深く根をおろした海の伝統文化ですよね…と、本業OLでセーリング経験10回未満の私が言うのもおかしいですが。物語の舞台となるノーフォーク地方には、20年前に初めて英国旅行をした時にロンドンから日帰りで行ってきました。ノーフォークの観光船情報なんて地球の歩き方にもなかったし、インターネットで下調べできる時代でもなかったから、列車でいけるところだけ、ロクサムとヤーマスに行って、川は陸(橋の上)から見るだけでしたけど。ロクサム橋橋の上からビュア川の下流を臨む。モーターボートで航行する分には十分な川幅ですが、ここをヨットで間切りながら進むというのは、かなり腕がよくないと出来ないのではと思います。ヤーマスの橋(物語で言う2番目の橋だと思います)。エイクルに通じる道路(A47号線)橋は既に架け替えられてますし、ヤーマスの鉄道駅はビュア側の左岸から右岸に移動しているので、今は鉄道橋はありません。橋を抜けたところ、右手がブレイドン湖、左に行くとゴールストンを経て北海へ。ロクサムからビュア川を下る観光船があるようなので、いつか英国再訪の機会があったときには乗ってみたいと思います。自身でヨットをレンタルするのは、この川幅ではちょっと、半日で2回ディンギーを沈した私には自信ないです…いや今回、ディックとドロシアの上達が自らに比べてとても速いので、尊敬の目で見てしまいました。