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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
パイレート・クイーン

11月28日〜12月25日まで、東京の帝国劇場で「パイレート・クイーン」というブロードウェイミュージカルの日本版が上演されます。
そのタイトルの示す通り、これは海賊の女王の物語、舞台は16世紀末のアイルランドとイングランド。

…とくれば、女王とはエリザベス一世のこと?と考えられる方も多いと思いますが、この「女王」は、イングランド支配に昂然と反抗し、イングランドの商船を襲撃したアイルランドの女性族長グレース・オマリーのこと。
上演パンフレットのキャッチコピーにいわく「海の女王・女海賊グレース・オマリーvs陸の女王エリザベス一世、二人の女性の愛と自由の物語」…だそうな。

イングランドの属州にとりこまれつつある16世紀のアイルランド、オマリー一族の族長の娘に生まれたグレースは、その勇敢さとリーダーシップを認められ、父からガレー船の指揮を任せられていた。
イングランドの商船を襲い圧政に抵抗するアイルランド人たちは、イングランド人から見れば海賊である。
やがてグレースは、幼馴染みのティアナンとの恋をあきらめ、オフラハティ一族との同盟のため、オフラハティのドーナルと婚儀を上げることになる。
だがグレースの父の死後、オマリー族をも支配しようとする夫ドーナルとの溝は深まった。
ついにドーナルはイングランドと密かに通じ、グレースを陥れ捕らえさせる。
このときグレースの子供を守り、ドーナルを討ったのはティアナンだった。
ティアナンは自分の身と引き替えにグレースを釈放するようにイングランドに求める。願いが容れられアイルランドに帰ったグレースだったが、戻った故国はイングランドの支配の下に荒廃していた。
グレースはロンドンに向かい、イングランドの女王エリザベスに、女性として母として訴えかける。グレースとの会談を終えたエリザベスは、グレースにオマリー一族の土地を再び治めることを許し、グレースは釈放されたティアナンとアイルランドに帰る。
…これがミュージカルのあらすじ。

みどころは二人の女王が対立し、そして最後には互いを理解するというところ、グレース役は保坂知寿、エリザベス女王は涼風真世なので、見応えはたっぷりでしょう。
アイルランドの物語ということで、アイリッシュダンスをふんだんに盛り込んだスペクタクルな舞台も魅力だそうです。
ちょっと、わくわくどきどきの展開、時間があったらぜひ見に行きたい!ものです。

でも歴史海洋小説好きとしては、気になるのはやっぱり史実、
ミュージカルはなんともドラマチックな展開をしますが、実際の彼女の人生はどのようなものだったのでしょう?
エリザベス女王と直談判なんて、ほんとうに史実にあったのでしょうか?

グレース・オマリーというのは、イングランド側の記録に残されている英国名で、アイルランド名はGrainne Ni Mhaille(aにはアクセント記号)。
Grainneというのはケルトの豊穣の女神に由来する名前なので、優美を意味する英国名グレースは、イングランド側が記録を残すときに、音のみを充てた名前のようです。
16世紀のアイルランドに実在し、実際にエリザベス女王とも会見をした女性族長です。
グレースは英国人が充てた名前ということなので、以下、実在の人物を語る時はゲール名のGrainneを使わせていただきます。

Grainneはオマリー一族(クラン)の長(チーフタン)、「コナートの海の女王」と呼ばれ、アイルランドでは多くの物語に語り継がれる伝説的な人物です。
が、実際のところ、どこまでが史実でどこまでが英雄譚なのかよくわからないのが困ったところなのですが、
とりあえず史実を確認していくと、

Grainneは1530年、アイルランド西海岸メイヨーに、オマリー族の族長(チーフタン)Eoghan Dubhdara O Mailleの一人娘として生まれました。
西海岸クレア島に城をかまえるオマリー一族は、多数の船を持ち海外との交易を行っており、Grainneもゲール語の他に英語、スペイン語、ラテン語、フランス語などが話せたようです。
父の死後Grainneは一族の船と海外貿易を引き継ぎました。実際に航海に出、船の指揮もとっていたようです。
アイルランドを属州としていたイングランドは、当時アイルランド船の貿易に税金を課していたのですがオマリー一族の船はこの税金を公然と支払わないなど不服従はなはだしく、イングランドから派遣されていた統治官がGrainneについて「40年間に渡りイングランドへの反抗分子に援助を与えていた」と記した書簡が残されているなど、Grainneが当主となったオマリー一族がイングランド統治に素直に従っていなかったことは事実のようで、このあたりが様々な英雄譚となって残っているようです。

エリザベス女王と会談したというのは史実ですがこれは1593年…ミュージカルの夢をこわして申し訳ありませんがGrainneが63才の時で、恋人の命ではなく実はイングランド軍にとらえられた息子のためにロンドンまで出向いたようです。
Grainneは二度結婚しており、最初の夫Donal an-Chogaidh O'Flahertyとの間に2人の息子と1人の娘、二番目の夫Richard-an-larainn Burkeとの間には1人の息子が生まれました。
このDonalは好戦的で野心的な人物ではあったようですが、イングランドと通じて妻を陥れたという史実はなかったようで、ミュージカルでは悪役にされてしまって気の毒かもしれません。

まぁミュージカルはミュージカル、史実を誇張したそのドラマチックさを楽しむのが正しい見方かとは思います。
それにしても16世紀のイングランドと言えば、キャプテン・ドレイクをはじめとするスペイン財宝船を襲った私掠船団(俗に言う海賊)で有名ですが、そのイングランドの鼻をあかしていた反抗的なアイルランド船団があった…というのは何とも新しい発見で、
知らなかった事実を教えていただいた…という点ではこのミュージカル「パイレート・クイーン」に感謝です。


2009年11月03日(火)