Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
劔岳・点の記
200年前、未知の海を航海した船は、測深し方位を正確に計り正確な海図を作製することもまた任務でした。 後のその海を航海する者たちへの道しるべに。 未踏の地に赴いた者が地図や海図を作製するというのは、そもそも、そういう意味があることなのでした。 …本屋に行けば当たり前のように地形図が、海事用品店に行けば海図が帰る今では、そんなことはすっかり忘れていましたが。
今からちょうど100年前の明治40年、日露戦争も終わりロシア艦隊にも勝利をおさめ、ほぼ近代化を達成したかに見えた日本ですが、いまだ日本地図上には空白の部分がありました。 それが劔岳…北アルプス飛騨山脈の深奥部に位置するmの険しい山塊部分でした。 正確な地図を作製するためには、山頂に測量用の三角点を設置しなければなりません。 この三角点の設置記録が「点の記」と呼ばれるものです。 「劔岳・点の記」とは、未踏峰である劔岳の頂上に三角点を設置しようとした陸地測量部の測量士たちの、明治時代の「プロジェクトX」。
日本の地形図は、戦前は陸軍省陸地測量部が担当していました。 日本地図の最後の空白を埋める作業は、陸軍の威信をかけた国家プロジェクトだったのです。
折しも設立されたばかりの日本山岳会は、劔岳初登頂をターゲットとしていました。 軍にしてみれば「お国の仕事」で地図を作製する陸地測量部が、山岳会に先を越されるなど許されざることで、 かくして熾烈な初登頂争いが展開されるわけですが、
けれども、 実際に命を賭けて山を登る当事者たちの思い、動機、彼らを駆り立てるものは、それとは全く別のところにある。 測量士たちは、三角点を設置し測量する仕事に誇りを持ち、 彼らを山に案内する麓の村のガイドは謙虚に、雇ってくれた人を山の頂上に到らせることが自分の仕事であると考え、 そして、陸軍省高官には「遊びで山に登っている」と批判された日本山岳会の登頂メンバーも勿論、物見遊山で山に登っているわけではありません。彼らには山に挑戦し克服するという目的があり、そのためには刻苦をも厭わない。 そして、それらの近代的な理由で山頂をめざす人々とはまた別次元に生きる者として…昔から山岳信仰の山として拝まれる劔・立山連峰には、自らの修行のために山に籠もり続ける修験者たちの存在がありました。
英国の海洋小説や冒険小説を読んでいると、この時代…19世紀末〜20世紀初頭にかけて未開の地、外国…異文化の地に赴き、厳しい自然に挑戦し道を開いた者たちの記録に接する機会は多いのですが、 この「劔岳・点の記」をそれら…例えばBBCドラマの「シャクルトン」などと比べてみると、似ているところもあり異なるところもあり、 実際に命がけで山に挑む者たちの心の持ちよう…実際に挑む者たちにとっては事後の結果すなわち名誉や名声ではなく、なすべき事とその達成のみが全てであるのだということ…これは「シャクルトン」にも、例えば南極探検に破れたスコットにも言えることです。
異なるのは、 自然の描き方、接し方。 山岳信仰や人間の営みに関わることなく生き続ける雷鳥、カモシカ、野生の猿などの描き方でしょか。 日本的…なのかな? 同様の感覚は韓国映画を見ていても感じることがあるので、東洋的なのものかもしれない。 チャレンジの対象が外国の異文化の未開の地ではなく、自分の生まれ育った国の山である、という点にもあるのでしょけれども。 山に登る理由が異なろうとも、そこに脈打つものは皆が同じであること、それは案内人長次郎にとっての行者さまであり、測量士柴崎にとっての故郷山形の記憶である。
劔岳は今では、夏山で多少の心得があれば誰でも登れる山になっています。 それは、室堂までバスが通ってアクセスがよくなり、山小屋が建設され小屋まではヘリコプターで荷揚げもでき、登山靴も雨具も防寒具も最新の優れた装備があるからだけれども。 それでも山そのものは、北アルプスの厳しい自然は、この時代から変わったわけではない。 山に登る人は、その本質を、100年前のわらじ、箕笠、背負い子、麻縄ロープの時代を忘れずに、 謙虚に自然と向き合わなければいけないのだと、考えさせられる映画でした。
2009年08月29日(土)
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