Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
アラトリステ(映画)
先週の連休を利用して、やっとこさ映画「アラトリステ」に行ってきました。 17世紀のスペインを舞台に、己の信義に忠実な一人の剣士の生き様を描いた物語。 …映画化作品はとくに、アラトリステという男の生き様に焦点を絞る形でつくられています。
結果、感想としては「あれれ?『アラトリステ』って意外と『シャープ』だったのね」。 原作は、アラトリステを親代わりとして育った少年イニゴの目から語られ、当時の社会の空気やマドリッドの街の雰囲気、詩人ケベードを初めとする周囲の人々にも均等の重点を置いて描かれているのですが、映画版はアラトリステ一人を際立たせるような形になっている。 ヴィゴ・モーテンセンというスターを迎えて、それを活かそうとした結果だと思うのですが、主人公にフォーカスした結果、時代は200年ほど違うのですが、物語の構造がショーン・ビーンの「シャープ」シリーズに似通ってしまって、 原作から想定していたものとちょっと視点がずれる意外感が、「シャープ」原作とドラマ化映像を初めて見た時の違和感に、ちょっと似ていました。
言われてみると確かに、この2つの物語はストーリー展開としては似ているのかもしれません…とくにフランドルでの戦いを描いたアラトリステ原作3巻とか。 これは、原作を読んでいる時には気づきませんでした。
原作では、詩人の友人ケベードとか、マドリッド宮廷の陰謀とか、当時のスペインを覆う倦怠感…時代の雰囲気のようなものに目が行っていて、むしろデュマの三銃士に近い作品だと思っていました。 そしてその印象は、やはり再度原作を読み返しても変わりません。
ということは、映画化の方策次第によっては、アラトリステも「仮面の男」※のような作品になりえた…ということなのですが、そうはならなくて「シャープ」になりました。 ※注)デカプリオ主演の鉄仮面として知られていますが、ここで比較したいのはデカプリオの王/鉄仮面ではなくて、老境に入った四銃士(ガブリエル・バーン、ジェレミー・アイアンズ、ジェラール・ドパルデュー、ジョン・マルコヴィッチ)の方です。
いや確かに、宮廷も美女も決闘も美しき宝石の贈り物も全てそろっているのですが、とにかく全て地味で。 王太后に深紅の薔薇の花をささげて去っていく仮面の男のダルタニアンとは対照的というか…、 ヴィゴは伊達男のスペイン人剣士ではなくて、むさくて泥まみれの…野伏の馳夫さん再び(苦笑)。
もちろん、この地味さはそれで良いと思いますし、スペイン人の監督が原作を読んで描こうとした世界がこれならば、むしろこちらが真実なのでしょう。 でも出来ることなら原作の持つ時代の倦怠感のようなものは、もう少し描き出してほしかった…それを象徴している友人の詩人ケベードに、もう少し比重をかけてほしかった…フランドル戦はもう少し短くていいから。
この、時代の倦怠感や絶望感ということで言えば、むしろ「宮廷画家ゴヤは見た」の方が上手く描かれていたと思うのですよ。 もっともあれは時代に対して主人公のゴヤがあまりに無力だったからこそ描けたものだったのか。 同じ無力でも、自分なりの信義で時代にあらがったアラトリステは、結局はその天晴れな生き様で見る者に爽快感をもたらすので、見終わった時にそちらの印象が残って時代の絶望感が消えるということなのかもしれませんが。 いやしかし本当に、異端審問ってスペインの社会に大変な影響力があったのですね。 3ヶ月足らずの間にスペインの歴史を扱った2作品を続けて見ると、考えさせられます。
そうそう、細かい点ですが、 映画の後半で、スペインがフランスに攻め込まれて窮地に陥った時に、マドリッド宮廷で高官の誰かがカタロニアの処遇を口にするシーンがあったのですが、その時の口ぶりというか雰囲気が「カタロニアは別の国」だと思っていることがありありと受け取れて、あぁこれが17世紀のマドリッド宮廷の認識かぁ、と一つ学んだような気になったことです。 このようなことも少し、スティーブンのカタロニアの血を理解するのに役立つのかな?などと。
2009年01月17日(土)
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