Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
咸臨丸建造150周年記念講演会
10日の土曜日は、船の科学館に咸臨丸建造150年の記念講演会を聴講に行きました。 咸臨丸は1860年に、日米修交通商条約批准のため、使節をのせて日本で初めて太平洋を横断した船として有名。 この記念講演会は洋学史研究会、船の科学館の共催、ということで、会場には歴史が専門の方、船が専門の方の他に、咸臨丸子孫の会の方も見えていらして、多ジャンルの専門家集合といった趣でした。
前の席に座っていらした子孫の会の方とお話をする機会があったのですが、「今日は勝さん(勝海舟艦長役)も木村摂津守(遣米使節副使)もご子孫が見えてますよ」とのこと。 さすが100年ちょっと前の近代史ですね。 イギリスもトラファルガー200年の年に、海戦に参加した士官だけではなく全ての水兵のデータベースを作成する試みがなされていたようですが、日本にもこのような形で歴史上有名な船について、乗組員子孫の会があるというのは素敵なことだと思いました。
船の科学館では咸臨丸建造から150年目に当たる今年、「船の科学館資料ガイド7:咸臨丸」という資料冊子を発刊していますが、 今回の講演会ではこの冊子の編集に尽力された、海事史学会の元綱数道先生と、洋学史研究会の片桐一男先生から、原資料を目の前に、まさに歴史研究の現場のお話を伺うことができました。
むかし日本史学科の学生だった身としては、学生時代に講義を受けているような、懐かしい空気の中に帰った感があり、 また、何といいますか…ナポレオン戦争時代の英国艦というのは、所詮異国船ではあるわけで、いくら小説を通し親しく長年お付き合いしてきても、どこか「海の向こうの世界」の話の部分があるんですけど、咸臨丸はやはり日本の艦で、目の前にご子孫の方もおられるわけですから、近さが違います。
いま異国船と書きましたが、「異国船」と「外国船」ってどう違うかご存じでしょうか? いえ私も、昨日の講演会で初めて知ったんですけど、鎖国時代の長崎では、この二つには歴とした差があったんだそうですよ。 外国船は蘭船と唐船、すなわちオランダと中国の船のこと。 異国船はそれ以外の外国の船のことだそうです。 …ですから「異国船打払令」は、オランダと中国には適用されないということで、 (この場合朝鮮の扱いはどうなるのでしょうね? 対馬経由で来航するので、長崎には入港しないということなんでしょうか?)
さて昨日見せていただいた資料の中でも、帆船好きな方に最大の興味と言えば、 オランダに残されていた咸臨丸の船体構造図、蒸気推進機関諸図、勝家に仕えていた方が保存されていた咸臨丸のリギンプラン等々、 咸臨丸は江戸幕府がオランダのキンメルダイク造船所(現在のIHCオランダ社)に発注した、オランダ生まれの軍艦ですが、同じ造船所で翌々年に建造されたオランダ海軍の同型艦BALIの船体線図、縦断面図、横断面図、甲板図なども原寸コピー(オランダに今も保管されている図を青焼きしたもの)で目にすることができました。
講演会の内容については、その大部分が上でご紹介した船の科学館発行の冊子にも詳細に記されていますので、それをご参照いただくとして、こぼれ話的なもので大変面白かったのは、オランダの度量衡。
イギリスの船体線図は、縮尺が統一されているもののようですが、オランダの図面は統一があるわけではない、図面ごとに異なる縮尺が記されており、それに従って計算しなおさなければならない。 オランダの度量衡は独自のもので、英米で広く使用されていたヤードポンドとは異なっていたが、咸臨丸の太平洋横断に際し、同乗したアメリカ海軍士官のブルックは、これを米国流に解釈していたらしく、実は実寸とは異なっていた…のだそうです。
それどころか、洋学史研究会の先生によれば、オランダの薬の調合量(度量衡)も、オランダの各都市や植民地で微妙に単位が異なり、日本に伝わった薬剤の度量衡は実はバタヴィア(オランダ領インドネシア)のもの、薬の多量服用や配合間違いはしばしば命にかかわることもあったため、このてんでばらばらの度量衡は実際にかなりの悲劇を生み出したのだとか。
いや150年前だからそんなもの…という考え方もあるかもしれませんが、正午に天測、きっちり計算…の200年前の英国海軍に慣れていると、え?そんなことあっていいの?と驚きもしたり…あぁでもどっかの艦でもありましたっけ?時計を壊して経度が違って座礁とかいう事件。
ともあれ昨日は、たいへん面白い有意義な時間を過ごすことができました。 海の歴史と伝統が生き続けているイギリスでは、現代のイギリス人でも容易に過去とつながることができますが(例えばプロムス・コンサートのラストナイトで海の唄を歌って盛り上がるように)、日本でも探せば、帆船時代の昔につながる道があるのだということが、なんとなく嬉しかった昨日でした。
2007年11月11日(日)
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