Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
イオニア海にクタリを探して(前編)
11月末に発売されたオーブリー&マチュリン8巻「封鎖艦、イオニア海へ」 そろそろ皆様も読了されましたでしょうか?
私はこの巻、大好きなんですよ。 海洋小説としてどうこうではなく、シリーズの1冊として一番好き! 海洋小説の出来として一番のおすすめは、5巻「囚人護送艦、流刑大陸へ」なのですけれども。
8巻はジャックが気心の知れた連中と、気心の知れた艦で航海に出る…これが長年シリーズに親しんできた読者として何より嬉しい。 プリングスは有能な副長だし、マウアットは相変わらずで、バビントンはちょっと困ったちゃんだし、キリックは艦長にガミガミ文句を言って、ボンデンは船乗りらしくないドクターに本気で怒ってしまう。
私はアレクサンダー・ケントのボライソー・シリーズも、昔の部下たちやファラロープ号が戻ってくる13,14巻や、将官としてハイペリオン号に戻る17巻が「好き」なのです。 でもこちらも、海洋小説として一番よくできているのはそれらの巻ではなく、4巻の「栄光への航海」だと思っていますが。
つまりは、単独の小説として読むには、人間関係に軋轢があり厄介な艦を扱うM&C5巻やボライソー4巻の方がドラマとして面白いけれども、シリーズもの面白さはこれとは別にあり、登場人物たちの魅力で読むキャラクター小説としては8巻などが優れているということになるのでしょうか?
私にとってM&C8巻のもう一つの魅力は、舞台となる地中海沿岸の港町です。 オブライアンは過去の土地を活き活きと描くのは本当に上手いですよね。 シリーズ登場は3回目になる筈のメノルカ島…支配者が代わり10年ひと昔となった過去と現在の違いが空気として感じとれます。 もともと地中海沿岸の港町や島々は、古代から何回となく支配者の変わる歴史の大波に襲われてきており、それはその地に住む人々にとっては大変不幸なことながら、21世紀の今その地を訪れる旅人には、魅力的な歴史のエッセンスとして働く。
地中海のマルタ島…ここはM&C9巻の舞台になるのですが…も、フェニキア、ローマ、アラブ、スペイン、フランス、イギリスと大国の支配に振り回された島ながら、それらの国々の文化の跡が残るゆえに、旅人にとっては大変魅力的なところ。 7年前にマルタを旅行して以来、私は地中海の港町に魅入られてしまいましたが、そんな私の目には、8巻のメノルカそして、イオニア海のクタリが、大変魅力的な町にうつります。
とくにクタリ。 かつてはキリスト教の独立国、今(1813年)はオスマン・トルコの辺境都市でムスリムの地方長官の統治下にありながら、キリスト教地区、アルバニア人、ヴァラキア人、ギリシャ人社会がなお独立して存在するモザイクのような港町。 翻訳者高津幸枝氏のあとがきによれば、クタリは架空の町なのだそうですが、オブライアンの筆による当時の町の描写はとても架空の町とは思えないほどリアル。 ここまでリアルに描かれているからには、架空とは言ってもモデルとなった当時の町が必ずあるに違いない! と確信した私は、「クタリ探し」を始めました。
まず第一の手がかりは、8下巻3ページ目の「イオニア地方拡大図」。 これを現在のギリシア地図と突き合わせます。
現在のイオニア海 http://www.lonelyplanet.com/mapshells/europe/ionian_islands/ionian_islands.htm
イオアニアとパルガは現在でもそのままですが、ニコポリスは現在はプレヴェザとも呼ばれているようですし、ドドナはギリシアではなく、現在はアルバニアの領土です。 クタリやマルガのある辺りには、現在はイグメニーツァという町があって、コルフ島観光の出発地になっています。
イオアニアやコルフ島は日本のガイドブックにも載っています。 イオアニアはオスマントルコの香りを残す美しい街だそうですし、コルフ島はヴェネチアの香り残る美しいリゾート、世界遺産として有名なメテオラと3点セットでゆっくりまわるプランがおすすめとか。 ジャックたちはコルフ島を取り返すために四苦八苦していますが、この島は結局、1819年以降ギリシア独立まで英国の支配するところになったのだそうですね。 パルガの町の丘の上には、ヴェネチアの要塞が残っているそうですから、ここがメセンテロンの町のモデルかもしれません。
しかし、クタリ=イグメニーツァではなさそうです。 ではクタリの町のモデルはいったい何処なのでしょう?
こういう時こそ頼りになるのが、欧米のパトリック・オブライアン・ファンの皆様です。 このようなことに興味を持ってモデル地探しをされた方が、いらっしゃるに違いない! というわけで、オブライアン掲示板「Gunroom」の過去投稿を検索してみましたら、 ありました!
「1813年に英国のフリゲート艦BacchanteのHoste艦長は、フランス軍を追い払うために備砲を丘の上の要塞まで運び上げた」という歴史的事実を探し当てられた方がいらしたのです。 ただし、この舞台になった町は、クタリ(Kutali)ではなくコトル(Cottaro)、場所ももう少し北のアドリア海、現在はモンテネグロに属する港町です。
(長くなりますので、後編に続きます)
2006年12月17日(日)
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