Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
アレクサンダー・ケント、ネルソンを語る
ボライソー・シリーズの新刊の発行に際して、出版元のハイネマン社は長年「ボライソー・ニュースレター」という無料冊子を発行してきました。10月6日の28巻発行とともに出された最新版は23号になります。 インターネットの普及とともに、このニュースレターおよびバックナンバーは、全てネット上にupされ、現在は日本からでもお取り寄せなしに読むことができます。
トラファルガー200周年の月、2005年10月発行の23号では、巻頭でケント氏自身がネルソン提督に関する一文を寄稿しています。 今回はその主要部分をご紹介したいと思います。
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海とそれに関わる者の魅力は、私が思うに、二つの要素がもたらす結果にあると言える。 すなわち、精緻でありながら粗暴な船と、その中で生き、そして死んでいく者たちの神秘。いま一つは、二度と再び同じものを手に入れることの出来ない、彼らの有していた知識である。 彼らすなわち当時の船乗りたちは、本当の意味で独立独歩・自立独行であった最後の時代を代表しており、それが魅力をかもしだしているのだ。
当時、船上の全ての備品・策具は、手近の材料で修理・取り替えることができた。マスト、円材、ボート、帆、水や食料、基本的備品、大型艦であれ小型艦であれ、全ての装備は手近の材料からできていた。 陸地が水平線の彼方に消えた時から、そして艦が独航であればなおのこと、その艦の強さはその乗組員、ひいては彼らを指揮する人物の力量に左右されたのである。
海の戦いにおける戦術は、時代により大きく変化するものではなく、戦略よりは艦長の力量に左右されるもの。艦長がいかに敵の弱点や警戒不足を突き、敵艦に接近し、先制砲撃を、致命的な一撃を与えられるかに左右される。 陸上で訓練されるのは海兵隊のみであり、その他の乗組員全てを、上は艦長から士官候補生まで、機敏な登檣員から強制徴募されなすすべもなく立ち尽くすだけの陸者まで、彼ら乗組員をまとめあげるのは、指揮統率力に他ならない。 訓練を受け年季の入った水兵は用意万端、新米には必要であればロープを持たせ、指揮系統の混乱だけは何があろうと回避する。
帆走軍艦の時代において、指揮統率力と、勇気の具現において抜きんでた人物といえば、何と言ってもホレイショ・ネルソンであろう。 ネルソンという人物は、実際に提督と面と向かった者のみならず、その名声を耳にしただけの人々に対しても、その精神を鼓舞する影響力を有していた。 トラファルガー海戦においては小柄な提督のこの力が、各艦の指揮官たちの念頭につかず離れず、提督が致命傷を負って倒れた後も、その偉大な影響力のみで最大の勝利をもたらした。
ネルソン最後の戦いから200周年を記念する今年にあっては、ネルソンの偉大さが喧伝され、また多くの営利的な便乗企画が目白押しとなっている。我々はこれらの洪水に押し流され、この小柄な提督の本当の姿を見失いかけているのではないだろうか?
ネルソンの持つ本当の強さ、それは彼が、栄誉の絶頂にあった時でも決して普通の水兵の存在を忘れることはなかったことだろう。 提督は常に、可能なかぎり、乗艦の乗組員たちの名前を覚えようとしていた。部下の名前を全て覚えていたこともしばしばであった。 トラファルガー海戦で致命傷を負った時も、自身よりも重傷を負った水兵の治療を軍医に優先させた。自らが率先して手本となり、そして何よりも義務を気にかけたまま息を引きとった。
トラファルガー海戦の6年後にあたる1811年、リサの海戦に当たって指揮をとることになったウィリアム・ホステ艦長は、「ネルソン提督を忘れるな」という信号旗を掲げた。それだけで、部下の水兵たちには十分であった。それはおそらく、現代に生きる私たちにとっても。
上記は全文訳ではありません。原文は下記。 http://www.bolithomaritimeproductions.com/Bolitho%20Newsletter/default%20-%20News23.html
2005年10月22日(土)
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