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Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
[Sea Britain 2005] 渡り板を歩こう(ブリストルと宝島)

ブリストル・ハーバーフェスティバルの一環として、7月22日〜24日の3日間、なんと「渡り板を歩こう」イベントというものが開催されます。

「今回初めて、この、海賊たちが己の敵を排除する際に用いていた無慈悲な方策が、再び実行されることとなった。
海賊の仮装をした「志願者」は、Froome川に停泊したSevern Trowd号の甲板から、剣の切っ先でつつかれて、板の端まで歩かされ、川に飛び込まされることになる。」

映画「パイレーツ・ブ・カリビアン」をご覧になった方は、スパロウ船長とエリザベスが絶海の孤島に置き去りにされる前、板の上から海に飛び込まされていたのを憶えていらっしゃると思います。
あの板を「渡り板」と申しまして、海賊仲間の中ではこれが正式な「処刑」方法の一つでした。
映画の場合は島のすぐそばだったので、スパロウ船長もエリザベスも歩いて島まで行くことができましたが、通常はこれ大海のど真ん中で行われますから、当然泳いでたどりつける島などなく、板の端から海に落ちた者はまず間違いなく溺れ死ぬことになっていたのです。…ゆえにこれは「敵の無慈悲な排除法」と呼ばれるのですが。

それをまぁ、「ブリストル港まつり」で再現してしまおうと言うわけですよ。…まったく、イギリス人ったら(嘆息)。
こーんなこと、「東京港まつり」でやったら大変ですって。

このイベントに関するプレスレリース原文はこちら

プレスレリースでは「渡り板」を歩く「志願者」を募集しています。
「志願者」の条件は、男女不問、年齢:19才〜64才、泳ぎの達者な者であること。

「志願者」は海賊の仮装をして「渡り板」から川に飛び込むわけですが、このイベントはコンテストを兼ねていて、
・最もかわいい海賊
・もっとも醜悪な海賊
・もっともドラマチックな飛び込み
・もっとも面白いパフォーマンス
には賞が与えられるそうです。また、「志願者」は全員、Severn Trowd号での正餐会に招待されるとのこと。

なぜブリストルで「渡り板」か?
実はブリストルは海賊と縁の深い町なのです。

18世紀初頭にカリブ海を荒らし回った「海賊黒ひげ」ことエドワード・ティーチはブリストルの出身でしたし、市郊外Pennの海を見下ろす地では、墓石の目立たぬところにこっそり「髑髏と骨のぶっちがい」が彫られた、秘密の「海賊の墓」が発見されています。

なんだか何処かで聞いたような話だと思いませんか?
そう、海を見下ろす丘に建つ「ベンボウ提督亭」という宿屋に、ある日もと海賊の船長がやってくる…R.L.スティーブンソンの「宝島」です。

今回のプレスレリースの関連記事を読んで私も初めて知ったのですが、「宝島」の舞台の一つとなるブリストルの「遠めがね亭」(ジョン・シルバーがかみさんと切り回していた居酒屋)のモデルは、現在もパブ・ステーキハウスとして営業している「Hole in the Wall」という店だそうです。
また、ブリストルの税関だった建物に今も残る衣装箱は、ベンボウ提督が逮捕して倫敦塔に送った海賊キッドのものだと言われています。

私が「宝島」の物語を知ったのは、海洋小説を知るより前、日本テレビ読売系で放送されていたアニメを見てのことでした。
70年代の終わり頃、たぶん…ファーストガンダムと、それからNHKで放映されていた「マルコ・ポーロの冒険」と同時期だったのではないかと思うのですが、さすがに昔のことで記憶が定かではありません。

今回、ブリストルのプレスレリースを確認するために、初めて、スティーブンソンの原作をきちんと読んだのですが、今、海洋小説を多々経験した後で読んでみると、いろいろと発見が多くて。
もし私の記憶が正しければですが、昔みたアニメは一部原作を変えていたのだなぁという事にも気付きました。

以下は、むかしアニメ版「宝島」をご覧になった方にしか通じない話かもしれず、その意味ではちょっと恐縮なのですが、でも海洋小説系の掲示板でお話していると、この世界にはけっこう昔のアニメの「宝島」お好きだった方多い…ということを知りました。ので、ちょっと語らせてくださいませ。

宝島をめざした一行の中に、リブシイ先生というお医者さんがいたのはもちろん憶えていらっしゃると思いますが、この方、医者のくせして何故か銃や剣の腕が良くて、でもアニメでは結構若そうなのに髪が真っ白だったのです。
わたし昔これが不思議でね。どうしてお医者さんなのに物騒なものの扱いが上手いんだろう? どうして若いのに白髪なんだろう?って、あの頃は疑問に思ってたんですよ。

…でもスティーブン・マチュリンに馴染んだ今ならわかります。リブシイ先生のあの白い髪はきっと「かつら」だったんですね。
スティーブンが面倒くさくていつも紅茶ポットに引っかけて被らない奴を、リブシイ先生はきちんと四六時中かぶっていらした…というより「着たきりスズメで髪型変わらず」はアニメのお約束ですから、最初から先生のキャラクターデザインは、かつら装着バージョンしかなかったのでしょう。

また、今回読んだ原作によりますと、リブシイ先生は実は以前に陸軍の軍医だったそうです(カンバーランド公の連隊付軍医だったらしいですが)。
どうりで、海賊が反乱を起こしていきなりドンパチが始まっても場慣れしていらした筈ですわ。

スティーブン絡みでもう一つ。
反乱の時に船長側に残ったグレイという水夫がいたのですが(シルバーの次に格好よかった人だった記憶がある)、私の記憶に間違いがなければ、アニメでの彼はアイルランド人で、後に祖国の独立運動の蜂起に参加して戦死した…とかいう話だったと思うんですけど、この後日談は原作にはないようです。
最終回にあった後日談というのは、あれアニメだけの創作だったんでしょうか?
もっとも私が持っている「宝島」が完訳版かどうかわかりませんので、他に後日談を書き込んだ版があるかもしれないのですが。

そうそう、今回もう一つ、海洋小説絡みで面白い発見をしました。
「宝島」がいつ頃の話か実は原作にもはっきりとは書かれていません。1700年代のいつか…の話らしいのですが、それ以上のことがつかめません。
そこで今回私が考えたのは、ベンボウ提督の生没年がわかれば、宝島の年代がある程度特定できるのでは?ということでした。
主人公ジムの父親が旅籠屋の名に選んだベンボウ提督、それはきっと提督の名声が高かった時のことでしょうから、物語の舞台はその10年とか15年後くらいかしら?…と。

それでベンボウ提督について検索していて、ホームページ(英語)を発見したのですが(下記)、
http://bravebenbow.tripod.com/
このホームページに、なんと、歴代のH.M.S.Benbowの絵や写真が出ておりましてね。
http://bravebenbow.tripod.com/id17.html

リチャード・ボライソーの旗艦だったベンボウ号(H.M.S.Benbow)は、ボライソー・ファンにとっては特別の艦だと思いますが、実際に存在していたのですね。
ただし、こちらは1812年建造の72門艦(ボライソーの旗艦は1800年建造の74門艦)なので、微妙に異なります。
それでも、ベンボウ号の絵姿が見られるというのは、ファンには嬉しいものでして。

あ…と話が脱線してしまいました。2段落前に話をもどしましょう。
ベンボウ提督が戦死したのは、このHPでは1701年となっています。
その頃にジムのお父さんが宿屋を開業したとしますと…あの物語の舞台は1720年頃になるのかしら?…などと私は勝手に類推しています。

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「Sea Britain 2005」絡みのニュースは国際観艦式などまだ他に何件があるのですが、
ヴィクトリア号の東京での一般公開が今週の水曜25日までなので、先にこちらの見学記をupした方が良いだろうと思っています。
といっても、きっと明日も夜のupになってしまうと思うのですが。

明日はヴィクトリア号が見学できる最後の日曜日です。まだご覧になっていらっしゃらない方は是非是ぜひ有明まで足を延ばされてみてくださいませ。


2005年05月21日(土)