Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
米ヨットマン、P.オブライアンの思い出を語る
英国のBBCニュースにパトリック・オブライアンの記事が載っています。 いわく、「ナポレオン戦争時代の海上生活と海軍の様子をあそこまで活き活きと正確に描いていた小説家は、現代のヨットでの実際の帆走については殆ど知識がなかったようである」
BBCニュースによれば、現在発売中のアメリカのヨット雑誌「Yatching World」にトム・パーキンス氏というアメリカ人の実業家でヨットマンが寄稿したパトリック・オブライアンの記事が掲載されているが、その中でパーキンス氏はオブライアンから受けた印象を、上記のように記している…とのこと。
オブライアンの熱烈なファンである裕福なベンチャーキャピタリスト、パーキンス氏は、1995年の夏に自らのスーパーヨット・アンドロメダ号の地中海クルーズにオブライアンを招待したが、19世紀の帆船の細部にはあれほどまでに詳しい筈のオブライアンが、現代のヨットの速度と1日の航海可能距離については現実的な知識を全く有していない…ということがわかった。
パーキンス氏は「オブライアン氏は現代よりも19世紀に詳しい人物であるように思われた」とし、 「ある朝の朝食の席で、パトリックは尋ねた。『トム、こんなことを訊いたら君は当惑するかもしれないのだが、それは、私が最近の世の中を全くわかっていないということが、あからさまにわかってしまうからなのだが、つまり、ソフトウェアとはいったい何のことだね?』」 パーキンス氏はこの質問に対してこう答えた。 『ピアノはハードウェアで、譜面に書かれた曲はソフトウェアです』
原文はこちら:Nautical novelist couldn't even sail
この記事を読んで、でも私はそれほどは驚きませんでした。 役作りについてポール・ベタニーが言ってましたよね?「いちばん参考になったのは、パトリック・オブライアン自身のインタビュー映像だった」って。 マチュリン先生の、現実とズレたところは、オブライアン自身にかぶる部分が多かったのではないでしょうか? もっともスティーブンが現代に生きていたら、コンピュータにハマって、訳のわからないオリジナルソフトウェアの1つや2つは作っていたと思うのですが。
海に関する知識にしても、ありえる話しだろうと思っています。 オブライアンは、キャプテン・クックの航海に同乗した自然科学者サー・ジョセフ・バンクスの伝記を執筆しており、このために当時の記録を読み込んだことで、帆船と海に関するかなりの知識を得ていたでしょう。 実体験がなければ小説は書けない…ということはありません。 でもやっぱり、どうしても及ばないものはある…それは、空気の重さや風の当たりや日差しのきつさ…といった体感的なもの。 その点ではどうしても、他の海洋小説に比べると、オブライアンには限界があるように思います。
読んでいて最も海を「感じる」ことが出来るのはダドリ・ポープ、それからアレクサンダー・ケント。 それはやはり、作者自身の体験の反映なのかな…と。 ポープとケントは自身のヨットで、舞台となる海を取材していると聞きました。 ダドリ・ポープのラミジ3巻「ちぎれ雲」でトライトン号初めて大西洋を横断するくだりがあります。 南へ西へ進むにしたがって、海も空も雲も少しずつ色と形を変えていく、その様が実に丁寧に描き出されていて見事です。実際に大西洋を渡り、北の海から南に海へと航海したくなってきてしまいます。
オブライアンについては、私、実はもう一つ感じていることがあるのです。 ジャック・オーブリーというキャラクターは、英国士官にしてはちょっとはじけすぎて、少々規格外の性格をした艦長さんではないか…と。
冒険小説に登場する英国士官って一種独特のパターンがあるような気が私はするのですが、いかがでしょう? これは海軍さんに限らず陸軍さんでも空軍さんでも同じ、また19世紀でも現代でも、時代を問わず言えること。 常に自己抑制が行き届いていて、あまりハメをはずさない。 ホーンブロワーしかり、「サハラに舞う羽根」の主人公たちしかり、ギャビン・ライアル描くハリー・マクシム少佐まで。 それは「士官たるもの紳士たるべし」という独特の伝統からきているのかもしれませんが、そこが同じ冒険小説の主人公でもアメリカ人士官と異なるところであり、また一種独特の魅力にもなっている。 そしてたぶん、女王陛下の007シリーズがこれほど長く続く理由の一つで、世間がジェームズ・ボンドに見ている夢の一部でもある…かもしれません。
18〜19世紀を舞台にした海洋歴史小説を読んでいて、この英国士官パターンにはまならい、毛色が違うかな?と私が思う主人公は2人いると思います(ここでは下士官から出世したタイプという意味ではありません)。 ジャックとアラン・リューリー(デューイ・ラムディンの描く主人公:徳間文庫)、この2人は英国士官にしては珍しく、その性格が明るくはじけているんですよね。 アランの作者は実はアメリカ人だから、しょうがないかなぁとも思うのですが、オブライアンの描くジャックは珍しいパターンだと思います。 これもやはり作者の経験なのでしょうか? というか、この場合は経験しなかったことが逆に異色のキャラクターを生み出しているのかもしれません。
人生のどこかで従軍経験を持ってしまった英国人作家(職業軍人に限らず、第二次大戦などで従軍せざるをえなかった場合も含む)の描く主人公には、どうしてもハメをはずせない自己抑制の枠がかかってしまうような気がしてなりません。 オブライアンは、病弱ゆえに第二次大戦中も戦場に出ることはなく、代わりにその語学力を活かして情報省でヨーロッパ向けの翻訳などを担当していたと聞きます。 その経験が良くも悪しくも、同じ情報省にいながら従軍記者のような形で実際に軍艦に同乗していたフォレスターや、戦時中ゆえにハイスクール卒業と同時に海に出て行ったケントやポープと異なる、海洋小説や主人公を生み出したのではないかと、 こんな私見はいかがでしょうか?
2004年08月21日(土)
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