Sail ho!
Tohko HAYAMA
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Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
海軍への道(Naval Recruitment)
広告宣伝の少年兵の表現をめぐって問題の紛糾した「M&C」ですが、とりあえず配給会社は「誤解をまねくような表現」の使用を止められたようです。 「兵力を補うために幼い少年までも戦場に送らざるをえなかった」という一文に、これは歴史的事実と異なるという印象を持たれた方は多かったと思いますが、実際はどうだったのか、映画の公開前に一度きちんと整理してみたいと思います。 きちんと調べてみると実は、私が今まで海洋小説で読んでいたことの中にも微妙に史実と違うものがあり、なかなかに勉強になりました。
参考資料は、英国グリニッチの国立海事博物館(National Maritime Museum)のBrian Lavery氏の著書「Nelson's Navy : The Ships, Men and Organization 1793-1815」 Conway Maritime Press 1989より、第5章「Naval Recruitment」P.88-124。 Lavery 氏は映画「マスター・アンド・コマンダー」にも歴史考証協力者としてテロップに名を連ねており、メキシコの現場のウィアー監督からもたびたび助言を求められた経験をお持ちです。
1.強制徴募について ナポレオン戦争時代の英国海軍で悪名高いのがこの「強制徴募」。これは明治以降の日本で言うところの「徴兵制度」とは異なります。 陸軍については定かではありませんが、海軍への入り口は原則として志願(volunteer)でした。 ただし、戦争が5年、10年と続くと志願だけでは人手が足りなくなります。そこで登場するのが、強制徴募隊(press gang)です。
俗に伝えられる強制徴募のパターンとは、このようなものです。夕方、町の酒場で男たちが一杯やっていると、突然海軍の強制徴募隊が踏み込んできます。士官(海尉)と腕っぷしの強い水兵たちから組織されたこの一団は、酒場の男たちを有無をいわさず一網打尽にして縛り上げ、荷馬車に放り込んで一路港へ、そのまんま軍艦に放り込んでしまうのです。早い話が人さらいですね。 徴募された男には、もちろん家に事情を知らせる暇もありません。「家には病気の女房と腹をすかせた子供たちが…。俺が帰らないと稼ぎが…」などと言っても、「気の毒だったな」と一瞥されて終わり…というのが、よくあるパターンです。
しかしLavery氏によれば、実際の制度上はそこまでひどいものではありませんでした。 海軍が有無を言わせずに徴募できるのは、プロの船乗りだけでした。具体的には2年以上の海上勤務経験を持った経験者と規定されています。強制徴募の狙いは、人手不足の海軍が、商船の水夫をちゃっかりいただくことにあったのです。(あ…Lavery氏の格調高い原文に「ちゃっかりいただく」などという表現はありませんので念のため。この一文は直訳ではなく、内容のみを私の言葉で再構成しています)。 英仏海峡をへだてた対岸には敵国フランスがあり、出航まもなく敵と遭遇する可能性のある当時、英国海軍には素人の陸者(おかもの:landsman)を訓練して水兵に仕立て上げている時間的余裕はありませんでした。即戦力となる経験者を何がなんでも確保する深刻な必要があったのです。
実際には徴募隊は、とっつかまえた男たちを調べ、条件を満たさないことを証明できる者は釈放しました。2年以下の経験しかない水夫、商船の航海士以上の資格保持者、他の軍務・海事港湾業務従事者、パスポートを所持し国籍を証明できる外国人などです。 ただし、出航が急に決まって証明が間に合わず、とりあえず連れていかれてしまった、というケースもかなりあるようです。 そのようなわけで、強制徴募隊は人々から恐れられ、憎まれていました。石を投げられるなどというのは日常茶飯事で、夫を奪われた女性たちに徴募隊が襲撃される…という事件まであったそうです。
ただし、強制徴募の対象はあくまでも或る程度経験のある男性の場合で(2年以上の海上経験保持者が基本ですから)、子供や少年が対象となっていたわけではありません。
2.海軍士官へ志願について これとは対照的に海軍士官については、人手不足の問題は生じませんでした。原語では(The navy never had any great problem in attracting officers. P.117) 貴族階級やジェントリー階級、中産階級の人々は、こぞって息子たちを士官候補生にしようとしていました。 軍務に危険はともなうものの、海軍での経歴は本人に地位、名誉、財産をもたらす可能性が非常に高く、海軍士官は大変人気のある職業でした。もちろん全て志願者(volunteer)です。たとえそれが本人の希望ではなく親の希望であったとしても。
士官候補生の訓練は12才前後から開始されるのが通常でした。このためこの年頃の息子を持った親たちは必死にコネを頼り、いずれかの軍艦に息子を乗り組ませようとしていました。 ジャック・オーブリーのサプライズ号も、このような事情から「ぴーぴーうるさい雛4羽」(ジャック談 10巻(上)101ページ)を抱え込まざるをえなくなってしまったのです。
3.パウダーモンキーの少年たちについて これら士官候補生たち(カラミーやブレイクニー)とは別に、サプライズ号には「パウダーモンキー」と呼ばれる水兵のタマゴたちが乗り組んでいます。(巻き毛の子がかわいいですよね)。 重砲を操作する腕力の無いこれら少年たちの戦闘時の仕事は、主に火薬(パウダー)を船底の火薬庫から各重砲へ運ぶことでした。猿のようにこまめに駆け回り火薬を運ぶことから、パウダーモンキーと呼ばれていたようです。 士官候補生たちが士官の見習いであるように、パウダーモンキーたちは水兵の見習いで、補助的な仕事をしながら、策具や帆の扱いなど将来の水兵の仕事を覚えていきました。
この子たちが軍艦に乗り組むに至った経緯は、大きくわけて二つありました。 一つは賞与金(bounty)。 1.で説明した通り、海軍への入り口は原則志願でした。しかし戦争が激しくなってくると、なかなか志願者は集まりません。そこで導入されたのが、賞与金の制度でした。 これは志願者には賞与金を授与する、というものです。成人男性の賞与金は当初5ポンドでしたが、1795年には70ポンドに引き上げられました。 これは当時の貧しい庶民にとっては、大金でした。 結果として、借金返済のための身売り志願などが増加することになりました。
70ポンドの賞与金というのは、成人男性の場合で、少年の口べらし奉公(「おしん」のようなケース)の場合どれほどの額の賞与金が出たのか定かではありませんが、子供の多い貧しい家から将来の水兵を調達しようという狙いは、この制度にあったようです。
またストリートチルドレンの厚生施設として軍艦が利用されたケースもありました。 当時のロンドンや地方都市では、貧窮から親に遺棄された子供たちがストリートチルドレンとなり社会問題化していましたが、この対策として考えられたのが、海軍でした。 都市の施設では、ストリートチルドレンを保護し、きちんとした衣服と初歩的な教育を与えた後、軍艦に送り込んでいました。
この子たちのケースは、厳密に言えば志願であるとは言えませんが、しかし、今現在アフリカなどで問題になっている少年兵(対抗するゲリラによってさらわれ兵士に仕立て上げられる)や、第二次大戦中の日本の学徒動員などとは全く異なるものです。 少なくとも「幼い少年たちまでも戦場に送らざるをえなくなった」ケースではないと思われます。
2004年02月20日(金)
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