umityanの日記
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| 2007年09月06日(木) |
死の淵をさまようボス。 |
今朝、ボス(仕事の先輩で、父親みたいな人)の奥方から電話がはいった。「まさか」と思ったら、やはりその「まさか」だった。ボスが危篤状態に陥ったとのこと。時間があったら来てほしいとの事。僕は取り急ぎ用事をすませて病院へ向かった。病室の仕切られたカーテンをめくると、ボスはいくつもの管をつけて、冥途の淵をさまよっていた。今朝方急変したとのこと。医者から「今日の夕方までは持たないだろう」と告げられたそうだ。
奥方は僕を別室へ案内し、ボス亡き後の段取りを聞いてきた。まだ早すぎるのでは?と思ったが、「自分がうろたえて、何もできないと思うから、よろしく」との事であった。僕は「はい。分かりました」と応え、自宅へ戻り待機することにした。
人の死を待機することほど辛いことはない。未だに電話がかかってこない。さすがに、ボスだ。幾度も不死鳥のように、蘇ってきたから、今度もそうあって欲しいと願っている。もし、この備忘録を書いている時に電話があれば、その時点でこのページを止めよう。
思えばボスとの付き合いも20年近くになるか?。ボスがさる会の会長をしていたとき、僕も何かの役につき、昼夜をよく共にした。外国へも数回、足を運んだ。僕たちの旅は漫才道中。思い出すたびに笑いがこみ上げてくる。
アルコールもよく飲んだ。カラオケもよく歌った。アルコールはもっぱら焼酎で、四合瓶のボトルがいつしか一升瓶へとかわり、白のマジックペンで、あたかも、ラブラブの恋人のように名前を並記したものだ。日付も書くが、そのインターバルの短いこと。店のママさんは、ほくほく顔。
カラオケと言えば、ボスはド演歌の帝王。僕はフォークの歩兵といったところか?。ボスのレパートリーはかなり多かった。石川さゆりさんから、北島三郎さん、黒沢年男さん、はたまた、内藤やすこさんだったけ?。その他もろもろ、男性歌手であれ、女性歌手であれ、手当たり次第に歌っていた。音痴も最初の頃はひどかったが、年数を重ねるたびに上達してきた。音程を外さなくなり、味が増してきた。僕たちの笑いも最初は「げらげら」だったが、ずっと、後になると、「はははは」「うふふふ」に変わっていった。手っ取り早く言えば、歌はうまくなるほど、感心はするが面白みがなくなるということだ。
不思議なことに、人が上手に歌っていると、周りはおしゃべりばかりしていて、聞いているのか?、聞いていないのか?、全く不愉快なことが多い。歌い手が下手であれば、皆、安心して聞き、拍手喝采である。人間って、現金な動物だぜと思うが、僕もその例外ではなさそうだから、始末が悪い。
何はともあれ、ひょっとしたら持ち直したのかもしれない。もしそうなら、ただただ、ボスの生命力に乾杯だ。ある人が書物に書いていた。「死は決して怖いものではない。なぜなら、死の瞬間には本人は死を自覚できない。死を怖いと思うのは、人の死を第三者的に見て自己に投影するからだ」と。確かに、そう思えば思えないこともない。ただ、何にもまして、今までいた身近な人の存在が、この現世から消えてしまうことに大きな悲しみがある。その悲しみを癒やすには、やはり時の流れが必要だろう。
生命体の死亡率は100パーセントだ。どうあがいても、100歳まで生きることは至難の業。要は宇宙から与えられた命を、迎えが来るまでどう燃焼させるかが大事なことだろう。
思うにボスは精一杯、生を燃焼させてきた。少なくとも僕はそう思うし、奥方もそう思っているだろう。奥方は今に至るまで、精一杯看病をしてきた。ボスの脳裏には余りある感謝の念があるに違いない。
何かの本で読んだが、「徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべき形骸なり。設い百歳の日月は聲色の如婢と馳走すとも、其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず、百歳の他生をも度取すべきなり、此一日の身命は尊ぶべき身命なり、尊ぶべき形骸なり」とあった。
信仰心にも厚かったボスは、まさにしかるべく生きてきたように思う。まだ死に神は来ていない。頑張れボス!!。
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