umityanの日記
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日曜日がしずかに暮れた。午前中に仕事が一つ。幸い午後は何もなかった。外は薄曇り。風ややあり。出かけるには気分乗らず。書斎兼仕事部屋で、購入したソフトのバージョンアップを敢行。旧データの移行に成功。あまりにも簡単すぎて拍子抜け。
庭へ出た。縁側ひさしの雨樋に巻き付いた朝顔をデジカメで撮る。時節はずれとはいえ実に美しい。早々、パソコンへ落とす。成功。機会があれば僕の備忘録に搭載しよう。朝顔は好きな花の一つだ。といっても、花の種類なんてとんと知らない。さる先輩の奥さんからもらったバラの花を植えているが、何と言うバラなのかも知らず手入れ悪し。花は咲いたが、こちとらに愛情がないと花も愛情を返してくれない。てなわけで、も一つ親しみが持てない。その点、朝顔は違う。やはり花は朝顔に限るぜ。
僕は毎朝せっせと、水という食事を与えた。花は裏切らない。瞬く間に、雨樋を駆け上り、僕の背丈以上になった。赤紫のみずみずしい花弁が僕にほほえみかける。食事がおいしかったと言わんばかりだ。
朝顔が好きなのには理由がある。子供の頃、母親と毎年植えた記憶があるからだ。夏休みの絵日記には必ず朝顔の花を描いた。子供心に思ったものだ。朝顔も蝉や蛍と同じで、輝くのはほんの一瞬。朝顔は朝に咲いて、午後にはしぼみ、明日は散る。「はかないけど、美しいなあーーー」と。種を保存し毎年、毎年植えた。毎年、毎年、はかない美しさを呈してくれた。大人になった今でも、僕はその美しさに魅せられてやまない。
僕は今、書斎にこもり考えている。「物の美しさとは何だろうか」って?。 一般的に美しさには主観による違いがある。ただ、共通して言えることは、「気取りがない。ありのままである。こだわらない。そのままである。」と言うことなのかもしれない。だからこそ、美しいのだろう。人間にも同じようなことが言えまいか?。
今日、偶然、俳優の黒沢年雄さんの話をテレビで聞いた。若かりし頃は、気取りがあり、構えがあった。二枚目役者としてのプライドがあった。しかし順風満帆な時期は長くは続かなかった。仕事も減り、大病も煩った。そんなある時、娘の一言が、自分の考えを180度転換させたそうだ。構えず、ありのままの自分を表現して行こうと決心。かくして、二枚目でもなく、三枚目でもない、ありのままの、飾らない黒沢年雄さんがいて活躍している。まさに美しいではないか。
「こだわらない。ありのまま」とは、一言でいえば、「自然体」と言うことだろう。自然体で生きるってなかなか難しいんだよなーーー。僕なんかとても出来そうにない。スナックや小料理屋へ行けば、自己顕示欲丸出し。ナルシストもいいところだ。いやらしく売り込む僕の姿が見えまーーーす。人間的と言えば人間的だが、自然体ではないだろう。ま、欲の権化まで成り下がっていないから、そこは救いか?。
宮沢賢治さんの「雨にもまけず、風にもまけず・・・・・・・・」という詩を思い出した。自然体とはまさにこれだ。そう思った今日である。
今日の格言だ。「気取らず、構えず、こだわらず、自然体で生きていこう」ということになるか?。うんんんん、もう少し歳をとらないと、そういう気になれないかなあーーーーーーー。
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