きまぐれ日記♨
おっつぁん



 焼き貝と「対立」
2007年02月24日(土)


今日は後輩と海鮮居酒屋で焼き貝をつついていたら、「たまには、少し考えたことでも、発信したらどうよ」と、挑発されましたので(笑)、たまには挑発に乗ってみようかと思います(笑)。今日話した中から、少しだけ。

毎度お酒を飲んだりすると、「今」というものをどう見るのか、という話になります。我々は、若者ですから、今の時代が完全だ、なんて思っていないのは、当然です。では、どういうものが必要なのか、とか。

最近、よく思うのが「対立する」という発想ではないかなあ、と思います。例えば、ワタシがアルバイトをするときに、雇い主から「一緒に、このお店を良くして行きましょうね」と言われる。そりゃ結構なことで、ワタシもそうなればいいと思う。でも、必ずしも雇い主と、ワタシの利益は一致しないのです。極端な言い方をしてしまうと、ワタシの目標は、アルバイトでお金をたくさんもらうことなわけで、一番いいのは、全然仕事はしないで、お金は大量にもらうこと(笑)。これが一番です。逆に雇い主から見ると、一番いいのは、ワタシがものすごくよく働いて、お金は要らないと言ってくれること。これなら、お店もよくなるし、雇い主からすれば、いいですよね。

ただ、当然それでは、双方納得しないわけで、その対立を理解した上で、話し合っていく必要があります。ワタシは「もう少し給料上げてよ」と、雇い主をつつくわけです(笑)。雇い主のリアクションが悪ければ、辞めちゃうよっ、てなわけです。もちろん良ければ、一生懸命働くモチベーションもわく、というものです。雇う側からすれば、お店もよくなるし、高いモチベーションを持った人材も育つわけです。懐は痛いけど、そういうものでしょう。これがひとつのサイクル。「対立する」からこそ、新しい、良いものも生まれるわけです。

でも今は、若干そこがよく理解されていなくて、雇い主の「一緒に良くして行きましょうね」を、そのまま取ってしまっている感があると思うんです。そうするとどうなるかと言うと、対立がなければ、強いほう、すなわちお金を持っている雇い主の方が、より強くなります。「良くして行く」は、基本的に、雇い主の利益になるわけですからね。(実はこの話の先には、労働組合が今弱いと言う話があるのですが、長くなるので、今日は省略)

それで、この話が何につながるかというと、憲法改正の話に飛ぶわけです。新しい憲法は、国家と国民が、協力して国を良くして行くことを目指すのだとか。対して、今の憲法は、そういう発想ではなくて、国が国民に対して余計なことをしないように、という方向性で作られています。今の憲法の前の時代には、国家が暴走して、国民がひどい目にあった、という歴史に対する反省を基に(こういう歴史って、日本に限らず、欧米各国にもあります)作られているわけです。国家と国民の利益は「対立する」。

そこで「一緒に良くして行こう」は、どういう意味を持つのか、ということを考えなければなりません。国家と国民一人一人の力関係は、雇い主と雇われる側以上に強力なものです。だから安易に「やりましょう」なんて、憲法に書くのはどうかな、なんて思うわけです。憲法には、国民が「書く」と言わなければ書けないですよね。国民投票もあります。だから、書くことには、大きな意味があるということになるわけです。

こんな話を今日はしてました。ちょっと話が抽象的過ぎて、分かりにくくて、申し訳ないです。ワタシももっと頑張らなきゃな。たまにこんな日記を書く回も、作っていけたらいいな、なんて思っています。まだまだやりますよお。

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