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日記
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2003年06月10日(火) : 私の好きな漫画について 〜夢みる頃をすぎても〜

私は漫画が好きである。そもそも、親がきびしくて、小学生の頃は漫画というものを買ってもらえず、高校生になってからむさぼるように読みはじめた。渇望していたから、嵌るのも早かった。少女漫画のみならず、少年漫画、はては青年漫画にまで触手をのばし、それこそ読みまくっていた。

もっとも嵌っていたのは、浪人生の頃。おいおい受験勉強は?とツッコミが入りそうではあるが、やはり人間というものは、やらねばならないと追い詰められると、それだけ逃げたくなるもの。そのころ、弟が家庭内暴力で自宅にいられなくなって、大田区の親戚に居候していたこともあり、親の監視も無く、比較的自由を満喫していた。家庭の事情への同情もあり、親戚のおじちゃん、おばちゃんはやさしいし、親ほどにチェックも入らない。予備校の行きかえりに、西武新宿駅の本屋さん(漫画の品揃えがすごかった)によったり、漫画喫茶にいりびたって、名の知れた漫画を読みまくった。

読みふけった漫画たちの中には、おおよそ二通りあって、とにかくストーリーに引かれて続きが読みたかったものと、もう一方では、作品として、完璧だと思い、ストーリーを度外視して、心酔したものがある。おもにストーリー重視のものは、結局は古本屋さんや、なじみの喫茶店に、泣く泣くひきとってもらった。あまりの漫画本の多さに、家がパンクしそうになったから。このタイプには少年青年漫画が多い。『あぶさん』や『キャプテン』や『プレイボール』、『博多っ子純情』や『僕たちの疾走』、『あしたのジョー』。少女漫画では、くらもちふさこの一連の作品。一条ゆかりのもろもろの作品。たぶん今では思い出せないけれど、もっとたくさんの作家をものすごい勢いで読んだと思う。漫画喫茶に読む漫画がなくなったくらいだから。

それでも厳選して、手元に残したものは、作品として完璧だなあと思ったもの。いまでも私のお宝である。定期的に取り出しては、くりかえし読みふける。それこそセリフや構図まで頭に入っている。萩尾望都(トーマの心臓、ポーの一族、銀の三角、11人いる、その他いろいろ)吉田秋生(夢みる頃をすぎても、河よりも長くゆるやかになどなど)、佐藤史生(夢見る惑星などなど)。少し系統は違うけれど竹宮恵子(私を月までつれてって他)、大島弓子(綿の国星ほか)。『あたごおる物語』も好きだったなあ。

なかでも特にお気に入りなのが、萩尾望都と吉田秋生。なにより、その絵の完璧さと、すばらしい構図。ストーリーの完璧さ。よくぞこんなものがかけるもんだ。何度読んでも色あせない。読めば読むほど、セリフや絵の間にあたらしい発見がある。自分が年齢を重ねるにつれてあらたに発見することがある。このお2人の作品は、ほぼ私が知る限り、すべての作品を集めたつもり。いまでも新しいものがでたら、飛びつくように買い求める。

おしむらくは、私が漫画に嵌ったのが、ものすごく短い期間であること。(たぶん20歳前後の5年〜6年間だと思う。)きっとその後もたくさんの漫画家が現れて、想像のつかないような素敵な作品が生み出されているのかもしれない。出会えなかった素敵な作家やすごい作品が、たくさんあるのかもしれない。でも、結局はあの年頃の、一番悩み多かったときに出会った漫画家たちが、私にとって一番なのだ。色あせても、しみができても捨てられないお宝本。ずっと死ぬまで捨てられないだろうなあ。

近頃、娘の影響もあり、時々漫画を読む習慣が戻ってきた。それでも、どうしても注文がうるさいので、おめがねにかなう作品になかなか出会えない。小難しすぎてもだめ。軽すぎてもだめ。絵が描けてないものは問題外。大人でも鑑賞に堪える作品はないものか。それとも、20歳前後のあのころだから、あんな作品に出会えたのだろうか?1年ぐらいはお宝として保存しても、10年20年お宝として保存されるような作品に、これから出逢うことがあるのだろうか?ぜひ出会いたいものだと思って、日々探している毎日である。



ぎら☆ぎらは色っぽいっすよ〜vv

おやおや、なんだかいつものたぬき日記じゃないみたい。だってゆうべは剛さんにちいとも会えなかったから。しかたがない、ロッソでも聞きながら寝ますかね。おやすみなさい、みなさん、おやすみなさい、剛さん。


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