カナダの中に生きる日本 - 2006年07月10日(月) 旦那の実家は、バンクーバーから北へ飛行機で2時間上がったところに あります。そこから車で1時間半ほど内陸に入った 湖の畔には義理パパが自分で建てたキャビンがあります。 毎年、夏はそのキャビンへ遊びに行きます。 今回は子供を連れて初めての実家だったので、 親戚や友達へ、子供達の顔見世興行ツアーへ行かないと行けないということで、 数日間旦那の実家へ寄ってから、キャビンへ移動(まるで民族大移動のよう)しました。 旦那の実家近辺には、たっくさんのネイティブカナディアンと 日系人が住んでます。 そこに私がずっと会いたかったおばあちゃんが一人いました。 彼女は、旦那の大親友のおばあちゃん。 旦那の親友は、日系人のお父さんと、カナダ人のお母さんの間に産まれた 日系人です。 日本語は全く話せないけど、日本の名前で、顔もどうみても日本人。 彼はほんっと〜に素晴らしい人で、世の中にはこんなに いい人がおったんや!っていうくらい出来た男。 その彼にいつもいつもおばあちゃんの話を聞いてました。 昔々、日本からカナダに嫁いできたおばあちゃんは、 未だに英語が得意ではなく、日本語ばかり話すそうです。 なので、私が旦那の実家へいったときには、是非おばあちゃんの所へも 遊びに行ってみて、と言われてました。 今回初めてそのおばあちゃんへ会うことが出来ました。 84才とは思えないくらい元気なおばあちゃんは 私と母が遊びに行くとすごく喜んでくれ、お茶を飲みながら数時間 日本語でおばあちゃんの昔話に花を咲かせました。 19才でカナダに来たときのこと、 そして結婚した後、戦争が始まったこと。 戦時中の思い出、そんな中子供を必死で産んだこと等々。 なんだか私の知らない、カナダでの日系人の歴史を知ったような気がして すごく興味深かった。 おばあちゃんは、日本に住んでた時間よりも、カナダに居てる時間の方が ずっとずっと長いし、もうこの先日本に帰ることも無いまま ここで死ぬと思う、と言ってたけど おばあちゃんの生活そのものは、まるで日本にいるようで、 日本の新聞を見て、日本のテレビを見、日本の文庫本を読むのが何よりも楽しみで、 日本食材をバンクーバーから入手し、 帰り際には、おばあちゃんお手製のノリの佃煮や、数の子昆布を何キロも、 その上、自家用船で取ってきたという海苔をお土産にくれました。 気分はなんだか自分のおばあちゃんみたいだったなぁ。 -
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