太れ!たつのふ
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2005年10月29日(土) |
久しぶりの更新です。 |
去る10月16日
私の職場の同期であり中学の後輩である センちゃんが亡くなりました。
病名は滑膜肉腫(軟骨のガン)でした。
享年26歳でした。
わたしとセンちゃんの出会いは 中学の時です。
私は卓球部の一年先輩でした。
退屈で生意気な後輩たちが多い中
センちゃんは性格もよく おもしろい奴だったので なんとなく仲良くなりました。
私とセンちゃんは 卓球の戦形も似ていて 最初は教えたりしてました。
センちゃんは卓球の腕をメキメキ上げて 1年年下ながら
レギュラーメンバーで活躍。
一緒に試合に遠征するなど 楽しい時間を過ごしました。
私が中学を卒業してからは お互いの関係はパッタリと途絶えました。
その後センちゃんは 中学3年 さらに高校と 卓球の才能をさらに開花させ
県内では屈指のプレイヤーになったそうです。
私とセンちゃんが再会するのは それから約10年後
今の職場の内定者説明会です。
後ろから「先輩じゃないですか?」と話し掛けられ振り向くと
そこに 身長188センチに成長したセンちゃんがいました。
センちゃんとの再会を喜び 近況報告など盛り上がりました。
そしてその中で 病気の事を聞きました。
はっきりとは聞かなかったけど、どれだけ生きられるかわからない事が伝わってきました。
その年の終わりごろ センちゃんが結婚する事を聞きました。
驚きました。
奥さんとは大学生の時に2年間、病気発覚後も3年付き合っての結婚です。
その絆の深さは想像も出来ませんでした。
(結婚式の様子は過去の日記でも紹介しました。)
http://www.enpitu.ne.jp/usr2/bin/month?id=26737&pg=200405
結婚式は本当に素晴らしいものでした。
結婚式でスピーチさせてもらった事は 今でも本当に誇り思っています。
センちゃんは その後も 病気と闘い 入退院を繰り返しました。
退院中は 「働きたい」という意志が強くかならず職場に復帰していました。
ある日 職場で入院明けのセンちゃんを見かけたら 足を引きずっていました。
センちゃん曰く「手術でひざの関節全部とっちゃいました。今は人工の関節が入っています。」って言って笑いました。
「一番重い障害認定受けちゃったんで、車の税金とか高速道路とか安いんですよ!お得ですよ!」なんて冗談も言ってました。
あとから聞いた話ですが 手術は12時間に及ぶ大手術だったそうです。
また その後のリハビリも過酷だったそうです。
そんなことは まったく表面にださないセンちゃんがすごかったです。
その後 卓球の障害者大会で優勝し パラリンピック出場の打診があったそうです。
(資金不足と病気療養の為辞退したそうです)
その後も一緒にご飯を食べに行って
定休日マジックを見せつけたり
ビリヤードをしたり
奥さんも込みで お付き合いを続けていました。
そして またご飯でも誘うかな〜と思っていた矢先
訃報が届きました。
10月14日金曜 療養中の病院で急に容態が悪化。
土曜日には 身内や親しい人が集められ(そのときは まだ元気に話せたそうです)
日曜日 静かに息を引き取ったそうです。
通夜・葬式は たくさんの友達が集まりました。
私も受け付けなどで微力ながら手伝いました。
私のほかにも たくさんの友達が手伝いに集まりました。
センちゃんの人柄の良さ 周囲の人に愛されている事が再確認できました。
この間 奥さんと食事をして また色々と話をする事が出来ました。
センちゃんの
再就職への猛勉強っぷりや
リハビリの頑張り
病気発覚の時の事など
挫けないセンちゃんの強さを改めて知りました。
少しでもこの日記で センちゃんの事を伝えられたらと思い 書きました。
センちゃんが残してくれたものを胸に 一生懸命に生きなければと思っています。
センちゃんの心からの冥福を祈ります。