欠けているのは文の脈絡と堪え性 - 2004年10月27日(水) もう大学には残らないで定時で帰ることにしたのだと言っていたのに、 深夜2時前、立ち上がったままのメッセのウィンドウに見えたのは 「まだ大学なんだよ 仕事中だ」の文字だった。 本当は定時なんてない。勝手に決めるなら19時くらいだろうか。 もし今日向こうが家に帰っていたのなら、展開は若干違っただろう。 今日はただ愚痴を言う相手が欲しかっただけだけれど、 ゆうに関わる愚痴を言うと、このひとはだいたい、いい顔をしない。 わかっていたが、言わないよりはましだったので聞いてもらった。 けれどまともには相手をしてもらっていないのがすぐにわかった。 「いつまでも元カレの愚痴を言ってる子のことなんか知らないよーだ」 だ、そうだ。 ははは。思い出した。 前に、研究室の後輩と話していると事あるごとに元彼の話が出るけれど何だろう?と尋ねられたときに、何か意図があるわけじゃないだろうけどその元彼のことが今でも気になってるからだろうね、と答えたのはわたしだった。 わかる。わかるが、難しい。 昔なっつがわたしにしたことに大きなショックを受けて、一時期、周りの人間を誰も信じられなくなった。みんな嘘しか言わないのだと本気で思った。 それと同じ種類のことを、自分がしているのだと、わかる。 わかるが、苦しい。こらえ性がないからだ。 今日は逡巡が透けて見える速度の「入力中」表示が多かった。 何にしても大学で話すことではない。最後はわたしがそう言った。 そういえば喧嘩したときも、「大学で話すことじゃないと思うんだけど」と言われたんだった。 自分勝手やわがままで、怒られるときと怒られないときがある。 その怒られるときのほうは、怒っているポイントが、ゆうと似ていることが多い。 これは、さすがに、言えない。 -
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